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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その113 フィンランド・ドイツ・フランスの紹介です 1998年(3)

JA3AER 荒川泰蔵

フィンランド・ドイツ・フランスの紹介です

今回も1998年のヨーロッパで、フィンランド、ドイツ、フランスの紹介です。尚、今月の「あの人は今 (第38回)」は、JR3XMG梅本雅生氏の紹介です。

1998年 (フィンランド OH/JJ1CAS)

JJ1CAS菱木ひろみさんは、フィンランドの免許を得て運用したと、多くの参考資料を添えて、アンケートを寄せてくれた(写真1及び2)。「JARL指導の、無線従事者免許証と無線局免許状の英文証明を添付する取得方法に従って、OH/JJ1CASの免許を取得しました(JARLに申請の仕方の説明書が用意されています)。申請先はTelecommunications Administration Centre, P. O. Box 53, SF-00211 Helsinki, Finland になっています。別の記載には運用開始希望日の2ヶ月以上前にSARL(フィンランドアマチュア無線連盟)へ提出するとなっていますが、私は、一応前者に送り、e-mailにてOH7XX, Tuulikkiに連絡をとり、彼女から担当者が夏休みに入る前に書類の確認、また申請をお願いして頂きました。


写真1. (左)OH/JJ1CAS菱木ひろみさんの免許申請書。(右)免許状。

そして得られた免許で、1998年8月に首都ヘルシンキの北方にある都市クオピオ(Kuopio)の、OH7XXのシャックを借りて運用、14MHzでJAの4局を含む19局とQSOさせて頂きました。この運用についてはCQ誌1998年12月号に掲載して頂きました。(1999年5月記)」


写真2. (左)フィンランドのアマチュア無線免許の案内書の表紙。(右)その目次。

1998年 (ドイツ DJ1FSB, DC/JP1HIS, DL/JH3GAH, DL0RZA-1977)

JA0FSB野田文男氏は、仕事で赴任したドイツで免許を得て運用したと、アンケートを寄せてくれた(写真3~6)。「1997年から仕事でドイツ、ミュンヘンに赴任し、地元のDL2DVE, Andyの協力を得てDJ1FSBを開局しました。赴任前にJARLのFAXサービスで開局申請書を得て、無線従事者免許証とアマチュア局免許状の英訳証明書を携行しました。入国後に取得する1年以上有効のVisaの写し、日本から持ってきた英訳証明書、モールス試験を含んだ日本の免許を基にする旨の申告書、それに現地の外国人登録局で申請し1週間程で送られてくる品行証明書をアタッチして市内にあるBAPTへ送付しました。2週間程して「書類を受理した、1.5マルク/月の電波利用料を指定の口座に振り込み、控えを送れ」との手紙が届き、その通りにすると、約10日間で免許状が送られて来ました。特に頼んだ訳では有りませんが、コールサインのサフィックスはJAのものと同じで粋な計らいです。


写真3. DJ1FSB野田文男氏の免許状。

免許の期間は滞在許可の有効日と同じ、付属していたルールブックによれば50MHzを除くオールバンドで出力は最大750W、CEPT管内で運用が可能な現地上級局と対等のものです。自宅のアパートでは美観や構造上から大きなアンテナを立てられませんので、バルコニーからホイップANTを出して運用しました。地元バイエルンには湖が多く、車でよく湖畔へ移動しました。


写真4. (上)DJ1FSB野田文男氏が車で運用したIlkahoeheの丘。
(下)海抜988mのHohen Peiseenberg。

週末になると中東やアフリカから出ている日本人局が良く聞こえ、JY9NX, 9J2AM, 9G5DX, 4U1VIC等と交信出来ました。出力は概ね50~100Wでしたが、コンディションに恵まれ、2年間に14, 21, 28MHzのCW/SSBで約750局、122エンティティーと交信出来ました。JAとはコンテストを中心に120局余りでした。地元には幾つかのリピーターが有り、それでDJ0OQ鶴見さんとQSOしました。FriedrichshafenのHAM RADIOではDF2CW壱岐さんとお会いしました。1998年に滞在許可を延長した際に、免許状も延長して貰うべくBAPTへ出向きましたが、そこは既にBAPTでは無くRegTP (Regulierungsbehorde fur Telekommunikation und Post)のオフィスとなっていました。女性の担当官は「滞在許可が延長されたら古い免許状にその写しを添えて送ってくれれば良い、振込みが確認され次第新しい免許状を出す」と言いながら旧免許状を受け取ってくれました。一度発行された免許の延長は容易です。1999年10月に帰国しますが、何とか自分で開局し運用出来た事が良き想い出となりました。最後に色々とお世話になりました地元ハムの皆様に感謝致します。(2000年1月記)」


写真5. (左)DJ1FSB野田文男氏のQSLカード。
(右)FriedrichshafenのHAM RADIOに参加したDJ1FSB野田文男氏(1998年)。


写真6. (左)2014年バリ島でのSEANETコンベンションにて、左からJA3AER筆者、HL1KDWチャエさん、JA0FSB野田文男氏。(右)同じく左からJA0FSB野田文男氏とJA3AER筆者。

JP1HIS奈良圭之輔氏は、ドイツ滞在から帰国して半年以上が経過したと、夏にはまたドイツに行って運用しようと短期免許をとった事を、手紙で知らせてくれた(写真7)。「帰国して半年以上も経つと、すっかりまた元の自分に戻ってしまうものですね。ここ数ヶ月は学部学生の指導や、アルバイトの病院当直にあけくれ、家にあまり帰らない日々が続いております。当然ながらOn Air出来ずに苦しい日々でもありますHi。その分、夏のDLでは思いきり144~1200MHzまでのFMで運用して来ようと思っております。運用及び現地でのアイボール関しては、別にレポートを送る事にして、今回は再度DLで短期免許を取得しましたので、そのコピーをお届致します。どうも短期免許の規定が変更されたのか、先方の手違いなのか、コールサインが4アマ相当のDC/JP1HISになっていたのが気にかかりますが、運用がV・UHFのFMなので、今回は何の問題もありません。(1998年6月記)」


写真7. (左)DC/JP1HIS奈良圭之輔氏の免許状。
(右)ドイツのヴュルツブルクにてDC/JP1HISを運用する奈良圭之輔氏。

JH3GAH後藤太栄氏は、DL/JH3GAHのコールサインのドイツの免許を取得したと、1998年9月にそのコピーを送ってくれた(写真8及び9)。しかし、その後病床に付かれ、残念ながら2010年10月に逝去されたので、この免許でドイツでの運用については伺っていませんが、ドイツでの運用を志しておられたのではと振り返りながら、ここに紹介させて頂き、亡くなられてから12年目の供養とさせて頂きます。(JA3AER筆者記)


写真8. DL/JH3GAH後藤太栄氏への免許状交付案内のレター。


写真9. DL/JH3GAH後藤太栄氏の免許状。

JJ3PRT(JA1WSA)青木洋二氏は、FBニュース2022年4月号の「海外運用の先駆者達(その109)」を見て、その昔ご自分もドイツで運用した事を思い出しレポートしてくれましたので、1977年と今から45年も前の事になりますが、ここに紹介させて頂きます(写真10)。「1977年10月に仕事でベルリンショーに行った時、DL0RZAが運用しており、そのブースに私のQSLカード(JA1WSA)が飾ってありました。これは私のQSLカードだと言ったらOPは非常に驚いていました。この局を1時間ほどゲスト運用させて頂きましたが、全局EUでした。この時初めてベルリンの壁を見学しました。(2022年4月記)」


写真10. (左)DL0RZAをゲスト運用するJJ3PRT青木洋二氏。(右)そのQSLカードの表と裏

1998年 (フランス F/JH6RTO/P, F/JH3GAH/P)

JH6RTO福島誠治氏は、フランスでの運用についてアンケートを寄せてくれた(写真11の左)。「フランスとイングランドに観光ででかけた折に、パリからF/JH6RTO/Pで14MHzのCWで少し運用しました。ここでは僅か1局しかQSOしていませんが、CQ誌の『海外ロカトピ』のコラムに掲載して頂いた、免許申請の件を説明しておきたいと思います。JARLのFAXサービスで入手した様式と100フランスフランの送金小切手をテレコム事務所に送付したところ、3ケ月未満の運用に対しては、申請が不要になったとの大朗報のレターが送られて来ました。(1998年11月記)」


写真11. (左)フランス当局から、F/JH6RTO/P福島誠治氏へのレター。
(右)フランス当局から、F/JH3GAH/P後藤太栄氏へのレター。

JH3GAH後藤太栄氏は、F/JH3GAH/Pのコールサインで、フランスで運用できると、1998年8月フランス当局からのレターのコピーを送ってくれた(写真11の右)。しかし、その後病床に付かれ、残念ながら2010年10月に逝去されたので、上記ドイツの項と同様に、フランスでの運用に付いては伺っていませんが、フランスでも運用を志しておられたのではと、ここに紹介させて頂きます。尚、後藤太栄氏は、大阪国際交流センターラジオクラブのメンバーとして活躍され、JARLの監事を務められたこともあります(写真12)。後藤太栄氏の1986年のネパールでの運用と、1994年のモンゴルでの運用については、既に紹介させて頂きましたが、高野山の寺院の住職であった後藤太栄氏は、高野町の町長を務められたこともあり、高野山が世界遺産に登録されるよう尽力しておられました。(JA3AER筆者記)


写真12. (左)2004年3月大阪でのJAIGミーティングで挨拶するJH3GAH後藤太栄氏。
(右)2010年3月大阪でのJAIGミーティング参加者一行が高野山を訪問、JH3GAH後藤太栄氏の病気回復を祈ったが、残念ながら帰らぬ人となられた。

「あの人は今 (第38回)」JR3XMG梅本雅生氏

JR3XMG梅本雅生氏のクエートでの9K2ARの運用については2015年5月号の(その26)で、ヨルダンでのJY9MGの運用については2015年11月号の(その32)で紹介させて頂きましたが、その梅本氏からその後の状況を含めた近況をお知らせ頂きましたので、紹介させて頂きます(写真13~23)。「2019年9月還暦を迎え、現役最後の赴任地スリランカのコロンボより帰国、24年振りに実家ホーム地で再開局の準備をとりかかりました。そのためには、老朽化した実家を解体撤去する事から始まりました。学生時代に自力で建立した自立タワーのみ残して整地してシャックを設置、中古出物のクランクアップタワーを埼玉より輸送して翌年12月、1年半の期間をかけて再開局できるようになりました。海岸に近い分譲団地の頂上(海抜80m)、住居の無いシャック小屋とタワー&アンテナです。


写真13. (左)アンテナアワーを残して家屋を解体した更地。
(中)完成したシャック。(右)運用再開時のアンテナ群。

直近のコロンボには3年半の駐在で、4S7VK, Victorと何度かアイボールして、サポートをして頂きましたが、帰国までにコール取得には至りませんでした。当時JICAの専門官4S7TNG(JI1SHQ)長井氏と、日本人学校長4S7AMG新井氏の2局が、アパマンハムで細々とQRVされていました。


写真14. 当時スリランカで運用されていた日本人。
(左)4S7TNG (JI1SHQ)長井氏。(右)4S7AMG (JA0POI)新井氏のQSLカード。

さて、ヨルダン帰国後に遡りますが、帰国10年後の1996年4月タイのバンコクへ家族帯同での赴任となりました。赴任直前にはHS0/JA1IZ竹内正広氏がタイ南部のスラタニ県よりQRVされコンタクトも頂きました。


写真15. 当時タイで運用されていた日本人、
(左)HS0/JA1IIZ竹内正広氏。(右)HS0/JA6GIJ林道夫氏のQSLカード。

当時アクティブだったHS1RUカリーム氏に着任後早々アイボール、毎月開催のRAST(Radio Amateur Society of Thailand)の会合に参加、入会しました。海外ハムの在住局HS0/G3NOM, RayそしてHS0Zで始まる米人も会員でアクティブな活動をしていました。カリーム氏は、ハンディ機器の製造販売を経営され、旧PTD(Post and Telegraph Dep)とのパイプがあり、私の運用免許取得に尽力くださり、5年間有効のHS0/JR3XMGでライセンスを取得できたのは本当にラッキーでした。


写真16. (左)JR3XMG梅本雅生氏のRASTの会員証。(右)HS0/JR3XMGのライセンス。

早速、バンコク中心のマンション(25階建)のオーナーと交渉を重ねて屋上を自由に使わせてもらえるようになりました。アンテナは、VKメーカーのTET Emtronより5エレトライバンダーを個人輸入、7メガはINVアンテナからシャックまで80mほど同軸を引込んで設置。当時のHFのコンディションは良好だったと記憶しています。特に10m SSBで、夜EUがオープンしている最中に、北米東海岸、中米、カリブもEU方向から入感、パイルを受けた事を記憶しています。2002年末までに約1万局、約200カントリーとの交信をしました。Japan International DX Contestに参加して、1997年にはオールバンド電話、1998年には40m電信で、それぞれ1位を頂きました。


写真17. HS0/JR3XMGでコンテストに参加して得た2枚の賞状。

タイ各局との交流では、1997年5月8日~11日まで、HS50Aのコールで、タイ南部にあるチャーン島AS-125のIOTAのぺディションにも参加。島の対岸まで車で移動、渡し船で上陸し、海岸沿いにあるロッジ宿をシャックに、海岸にアンテナを設置して運用サービスをしました。


写真18. (左)HS50Aの運用で、IOTAペディション実施の協力に対する感謝の印としてRASTの旗を受け取る梅本雅生氏。
(中央)HS50A局のビームアンテナ。
(右)HS1Aプーミポン国王との写真を使ったHS50A局のQSLカード。

イベント参加では、2000年11月17日~19日、バンコク郊外のパタヤで開かれたSEANET Conventionに参加、JA3AER荒川氏や、JA0DAI渡辺氏達とのアイボールもできました。


写真19. (左)タイのパタヤで2000年に開かれたSEANETコンベンションの晩餐会。
(右)その会場にて左からJA3AER筆者、HS0/JR3XMG梅本雅生氏、HS1YLマユリーさん。

また当時NTT国際本部よりJICAの専門官としてPDTへ派遣されていたJA6GIJ林氏や、ホンダのタイ工場に駐在されていたJA2DOU横山氏とも交流して、定期的にハム懇親会を開き。又、日本人ハム各局(9V1ZW/JR1NHD田中氏、AJ3M三浦氏、JG1HQA佐藤氏 他)が出張等で来タイされた機会に、アイボールも沢山させて頂きました。


写真20. (左)JH3GAH後藤太栄氏が撮影し、59誌に投稿/掲載してくれたシャックでの写真。
(右)9V1ZW(JR1NHD)田中真氏が来訪され、一緒に撮った写真を59誌に投稿/掲載してくれた。

JA2DOU横山さんは、日本との相互運用協定について、当時の郵政省当局への働きかけを積極的に行われ、原JARL会長宛てに、在タイ日本人ハム仲間より要望書を提出した事もありました。


写真21. 在タイ日本人ハム達でJARL原会長宛に送った、日タイ間相互運用協定の要望書。

沢山の思い出を後にして2003年元旦の便で大阪へ帰国、3年勤務して博多へ国内異動で、単身で3年を過ごし、2009年~2013年5月までオランダのロッテルダムへ単身赴任しました。テンポラリーのPD/JR3XMGの免許を取得しましたが、マンションでのアンテナ設置は、美化、環境に影響あるとして設置が認められず、ロッテルダム港近くにあるコマーシャル施設の屋上へVDPをあげて、仕事の合間に時々のQRVで、アクティブではありませんでした。


写真22. PD/JR3XMG梅本雅生氏の臨時免許状。

ロッテルダムに赴任中には、2012年にドイツで開催されたJAIGミーティングへ、500kmをドライブして参加する機会もありました。


写真23. (左)2012年ドイツでのJAIGミーティングにて、左端でDJ9WHベルティンさんと歓談する
PD/JR3XMG梅本雅生氏。
(右)同ミーティングの集合写真、最後列左から4人目が梅本雅生氏。

また、隣国のノルウェー各局との交流など、アジアとは違う歴史的な文化にも触れる機会があり、私の人生において、ハムを通して良い経験の宝物を与えてくださり感謝しております。実家ホームで再開局してからは、リモート運用でFT8を主にHF, 6mにQRVをしております。運用地へは月に数回行きマイクを握る事をしておりますので、またお空で聞こえておりましたらお声がけ頂けると幸いです、よろしくお願いします。(2022年3月記)」

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