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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その78 JA3JM清水彰夫氏の南太平洋ホッピング 1992年(8) 「あの人は今(第3回) JA3USA島本正敬氏」

JA3AER 荒川泰蔵

JA3JM清水彰夫氏の太平洋ホッピング

アクティブ・ハムズ・クラブを主宰するJA3JM清水彰夫氏は、その機関誌でも“南太平洋ホッピング”として紹介されていますが、この年(1992年)から始まって多くの南太平洋の島々で運用されました。また、ご自身のホームページにも紹介されていますが、今回はその一部を含めてオセアニア州の3回目、南太平洋での運用の紹介です(写真1)。尚、今月の「あの人は今(第3回)」は、JA3USA島本正敬氏を紹介します。


写真1. (左)「南太平洋アイランド・ホッピング」の記事が掲載された「ACTIVE HAMS’ NEWS」と、(右)ホームページに掲載された「JA3JM/AA5K海外運用リスト」。

1992年 (ソロモン諸島 H44/JA1OEM, H44/P29JA)

JA1OEM豊福真一氏は、ソロモン諸島でH44/JA1OEMでの運用についてアンケートを寄せてくれた。「途上国はおおむねキビシイが、この国のカスタムは特にキビシイ。免許は短期滞在者には H44/ - で与えられる。1年以上のビザが有る者にはフルコールが下りるとの事。この国には普通の観光者はまず見当たらないが、第2次大戦中の激戦地の為、日本の各地から遺族等の慰霊団が年何回も多く来る。第1回目の運用は1992年9月23日から10月8日までで4,944 QSO、第2回目の運用は1994年5月15日から6月2日までで4,027 QSO であった。(1995年2月記)」

JG7AMD庄司良弘氏は、ソロモン諸島からH44/P29JAでQRVして502局とQSOしたとアンケートを寄せてくれた(写真2)。「1992年10月の運用の際には、同じ海外青年協力隊員の連絡用無線機の保守を行いそのまま借りてQRVした。そこは首都ホラニアの東約60kmの所で、商用電源がなく太陽電池でバッテリーを充電するという方式により電源を確保した。同じ時期にJA1OEM豊福OMがQRVされており、相当アクティブだったので、私は数日のみのオンエアーだった。1993年7月の運用の際には、日本人がオーナーのキタノメンダナホテル(首都)よりQRVした。首都の電源事情は悪くない。ただ、バターナットを立てる際、受付の人と穴を掘ったらホテルの水道のメインパイプを破ってしまい、支配人(日本人)に怒られたHi。私の知る限り、このホテルのロケーションがホラニアでは最も良く、設備も最高である。ホテルで宿泊すると問題になりそうなTVIは100W出力では全くでなかった。ホテルの支配人もTVIを気にしているようなので、事前に連絡するのがベストと思う。ライセンスは申請から発給まで15分もあれば十分。但し土、日は休みなので、土、日よりQRVを考えるなら事前請求が良いと思う。JA1OEM氏は日本の英文証明でライセンスを取得したそうだが、それを持たぬ私はP29の免許から申請した。H44xxのコールは1年以上滞在する局にしか現在発給していない。但し、以前H44xxのコールを取得していた局はこの限りでない。理由として、外国局がペディションで来た後、QSLカードがH44のビュローに大量にきてしまい、処理しきれなくなったことがあるからと言っていた。(1993年12月記)」


写真2. H44/P29JA庄司良弘氏の免許状。

1992年 (西キリバス T30IL)

JF3PLF杉浦雅人氏は、キリバスでT30ILの免許を得てグループで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真3~6)。「このところJARL京都クラブ(JA3YAQ)では、毎年どこか太平洋の島から夏のDXペディションを行っています。1992年のT30はその第5回目となります。免許は日本の免許をベースに簡単に得られます。申請から約1ヶ月で各自が希望したコールサインでの免許が郵送されて来ました。テレコムサービスのテルカイオ氏も、T30MTのコールサインを持つハムです。運用は国営のOtintaai Hotelで行いました。過去のペディションでもこのホテルからQRVした実績があり、交渉はスムーズに運びました。裏庭には海に面した所にフェンスや木があり、アンテナの設営には好都合で、おまけに北向きのためJAやWへの伝播には申し分ありません。私達はTS-440とFT-757のベアフット(最高出力は150Wしか認められていない)と、3エレ トライバンダー、2本のダイポールという設備で運用し、1週間の運用で約6,000局とQSOできました(3局の合計です)。島の中には漁業連絡用らしきCB局のアンテナ(GP, ダイポール等)がたくさんありますが、アマチュアのアクティビティーはあまり高くありません。今回のペディションでも7MHz CWのJAやWのパイル、21MHz SSB/CW/RTTYのJAやヨーロッパのパイルは印象的でした。(1992年10月記)」


写真3. (左)T30ILを運用中の杉浦雅人氏と、(右)そのアンテナ。


写真4. T30IL杉浦雅人氏のQSLカードの表と裏。


写真5. T30IL杉浦雅人氏のQSLカード2種。


写真6. T30IL杉浦雅人氏の免許状。

1992年 (ツバル T21AX)

JR2BEF鈴木康之氏は、ツバルでT21AXの免許を得て運用14MHz, CWで425局と交信したと、アンケートを寄せてくれた(写真7)。「1992年4月、太平洋をまわった時に、ツバルに立ち寄りました。申請は事前に郵便により行っておきました。申請料は、AS$10でした。アメリカの免許のコピーを添えてしたので、ライセンスはUSに届きました。サフィックスは空いていれば指定できるようですが、私は“アマチュア・エクストラ”を意味するAXを希望しました。(1992年5月記)」


写真7. T21AX鈴木康之氏の免許状。

1992年 (トンガ A35IG, A35JM)

JA3IG葭谷祐治氏は、トンガの古いA35IGの免許状のコピーを添付して、更新の上QRVする予定だとアンケートを送ってくれた(写真8)。「ライセンスを更新しました。 今年(1992年)4月頃にQRV予定。(1992年1月記)」


写真8. A35IG葭谷祐治氏の免許状。

JA3JM清水彰夫氏は、トンガでA35JMの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真9及び10)。「コンディションが悪く 21MHz以上はサッパリでした。QSOの内訳は、3.5MHz CW 33, 7MHz CW 280, 10MHz CW 183, 14MHz CW 34, RTTY 35, 18MHz CW 128, 21MHz CW 1, RTTY 28, 24MHz CW 1, 合計723局でした。なお、18MHz, 24MHz は口頭により運用OKでした。(1993年1月記)」


写真9. A35JM清水彰夫氏のQSLカードの表と裏。


写真10. A35JM清水彰夫氏の免許状。

1992年 (米領サモア AA5K/AH8)

JA3JM清水彰夫氏は米領サモアで、AA5K/AH8で運用したとアンケートを寄せてくれた(写真11)。「1992年12月にJA3JA, 早崎氏と同行、ロケーションが悪く高い周波数はダメであったが、ローバンドではそこそこの結果と思う。QSOの内訳は、3.5MHz CW 199, 7MHz CW 264, 10MHz CW 103, 14MHz CW 25, RTTY 12, 18MHz CW 68, 21MHz CW 1, SSB 3, RTTY 13で、総合計688局であった。ヨーロッパは非常に厳しく、14MHzと18MHzで10数局のみに終わった。(1993年1月記)」 更に、翌年の12月にも運用し総合計673局とQSOしたとアンケートを寄せてくれた。「アメリカンサモアにはホテルが3軒しかありません。そのうちアマチュア無線をOKしてくれたのは私が滞在したホテル(Herb & Sia’s Motel)のみです。山の中腹にあるという感じであり、北側にはすぐ近くに500m級の山があってロケーションとしては最悪の感じです。ただ7MHzや3.5MHzでは、わりによく飛んでくれましたので、後ろの山が反射器として働いていたのかも知れません。ホテルの裏にわずかの空き地があり、3.5MHzのフルサイズダイポールを何とか張りましたが、近所の庭を借りれば160mのダイポールも可能かと思います。(1995年12月記)」


写真11. AA5K/AH8清水彰夫氏のQSLカードの表と裏。

1992年 (南クック諸島 ZK1AJM)

JA3JM清水彰夫氏は、クック諸島のZK1AJMの免許を得て、南クック諸島で運用したとアンケートを寄せてくれた(写真12及び13)。「当初の予定ではKH8とZK2のみであったが、KH8とZK2間の飛行機が運行中止となり経路を変更、KH8 → 5W1 → ZK2 → ZK1 → KH6 → JA となったため、ZK1で1日運用した。QSOの内訳は、7MHz CW 244, 18MHz CW 9, 21MHz CW 60, SSB 44, 24MHz CW 25, 28MHz CW 127の合計639局であった。(1993年1月記)」 尚、翌年再免許を得て1994年1月1日から2日にかけて、サテライト通信(AO-13)を含めた運用で、総合計697局とQSOしたとレポートしてくれた。


写真12. ZK1AJM清水彰夫氏のQSLカードの表と裏。


写真13. ZK1AJM清水彰夫氏の免許状。

1992年 (ニウエ ZK2XJ)

JA3JM清水彰夫氏は、ニウエでZK2XJの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真14及び15)。「1992年12月、JA3JA早崎氏(ZK2XI)と同行。ロケーションは良く、ほぼ満足のいく運用であった。やはりヨーロッパとは厳しく僅かの局としかQSOできなかった。QSOの内訳は、3.5MHz CW 337, 7MHz CW 802, SSB 4, 10MHz CW 30, 14MHz CW 10, 18MHz CW 168, SSB 9, RTTY 1, 21MHz CW 213, SSB 191, RTTY 105, 24MHz CW 162, RTTY 10, 28MHz CW 185, SSB 78, FM 18, RTTY 6, 総合計2,330局でした。(1993年1月記)」 尚、翌年再免許を得て1993年12月にはAO-13を含む運用で、総合計1,685局とQSOしたとレポートしてくれた。


写真14. ZK2XJ清水彰夫氏のQSLカードの表と裏。


写真15. ZK2XJ清水彰夫氏の免許状。

「あの人は今 (第3回)」JA3USA島本正敬氏

1975年のFCCルール改正後、いち早く受験して米国の免許を取得された島本正敬氏の記事は、2014年2月号(その11)に掲載させて頂きました。その他にも多くの国々で活躍された島本氏は、現在生駒市にお住まいでアクティブにQRVしておられます。また、大阪国際交流センターラジオクラブ(JI3ZAG)の会長として活躍され、隔年大阪で開くAPDXC (Asia Pacific DX Convention)を主宰する他、大阪で毎年開催されるOTの集い「807昔を語ろう会」の幹事役も買って出ておられます(写真16)。今回はその島本正敬氏の近況を、送って頂いたアンケートから紹介させて頂きます。「2019年の今もJA3USAのコールで比較的アクティブにハムを続けています。特にこの5年程の間にあちこちから運用することがあり、USAのサフィックスを持つコールを7カ国から取得しました。また、イタリアDXペディションチームのメンバーとしてアフリカの11カ国でのDXペディションに参加。このイタリアDXペディションチームは2019年に米CQ DXの殿堂入りを果たしたことは、メンバーとして大きな誇りです。(2019年6月記)」と、一緒に送って頂いた現在のQSLカード(写真17)は、満月の夜の薬師寺の写真で、ユニークなQSLカードです。日本の歴史や古代史、少数民族にも興味を持たれ、各地の古墳巡りの他、定期便が飛ぶ日本の島々にも出かけ、その島の歴史を感じておられるそうです。QSLカードといえば1970年にヨルダンのJY1フセイン国王とQSOした際、国王からダイレクトで送られてきたQSLカードを大切に持っておられます(写真18)。そのQSLカードは王冠入りの封筒で、アンマンの王宮郵便局から書留便で差し出されたものです(写真19)。これはフセイン国王がアマチュア無線を始められた初期の頃で、島本氏が日本で初めてフセイン国王とQSOされた貴重なエビデンスでしょう。国王自らメッセージを書き込み、書留便でダイレクトに送られたのは、日本とQSO出来たのが余程嬉しかったからに違いありません。


写真16. (左)APDXC2018で挨拶をするJA3USA島本正敬氏。
(右)807昔を語ろう会2018で司会を務めるJA3USA島本正敬氏。


写真17. JA3USA島本正敬氏のQSLカード。


写真18. JY1フセイン国王からダイレクトで送られてきたQSLカードの表と裏。


写真19. JY1のQSLカードが書留便で送られてきた王冠入りの封筒。
1970年3月22日付 AMMAN ROYAL PALACE 郵便局の消印がある。

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