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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その75 意外と少ない北米・南米のレポート 1992年(5)

JA3AER 荒川泰蔵

意外と少ない北米・南米のレポート

前回まで3回に分けて紹介したヨーロッパに比べて、北米・南米のこの年(1992年)の運用レポートは比較的少なかった。今回は北米の4U1UNや南米のVP8などを含んだ両大陸を合わせて紹介します。

1992年 (国連本部 4U1UN)

JA6TIT山口賢一氏は、国連本部での運用についてレポートを寄せてくれた(写真1)。「三菱マテリアルの駐在員として、1989年12月にNYに赴任。初めて4U1UNを訪問したのは、1990年6月のイラン大地震の時であったと思う。K2GMから非常通信の手助けを頼まれた。当時4U1UNは、UN Disaster Relief Organization (UNDRO)に協力し、世界各地での災害発生時に非常通信を行い、ハムを通じて収集した現地の生の情報を、UNDROや各国大使館に伝達していた。1989年10月のSFの大地震、1989年9月のハリケーンヒューゴでの活躍はCNNや新聞でも報道された。又、非常通信の為のネットを毎週火曜日の夜に行っており、ハリケーンに備えて、主にW4やカリブ海の島々の各局が参加していた。1992年3月のトルコの地震の際には、トルコ大使館の秘書官たちがステーションにやってきて、徹夜で現地ハムとトルコ語で通信した事もあった。4U1UNはUN職員の為のレクリエーションのクラブであるが、UNからの予算は少なく、殆どが寄付とボランティアで運営されている。設備については、ケンウッド、ヤエス、クリエートデザイン社の支援。ボランティアとしては、JA3AER荒川OMがNYにおられる頃から、JANETクラブ諸氏が4U1UNをサポートしてきており、機器の修理、アンテナ設置等の手助けをしている。K2GMから依頼があれば、NZ2Y臼井OMやN2ATF小林OMが修理に行ったり、アンテナ設置や部屋の清掃を手伝ったり、パスを支給されているのもその為である(世界貿易センタービルの爆破事件以来、UNの警備も非常に厳しくなり、我々の持つパスでは以前の様にゲストを同伴出来なくなった)。1991年12月のJH1QDB藤井OMの来訪の際、JAからローバンドのニーズが高いのをお聞きし、月曜の早起きが始まった。5時の始発電車に乗れば6時半にはシャックに入る事が出来る。出張等で不在の時もあったが、極力トライした。結局1992年1-3月で計6回オンエアーしたが、JAとのローバンドでの交信の難しさを実感した。来年(1994年)には帰国の予定だが、NY駐在時代に4U1UNに関与でき、充実したハムライフを送る事が出来たのも、偏にJANETメンバー諸OMのお蔭と感謝している。今まではDXCC中心の自己的ハムライフだったが、この4年間でJANETやUNを通じて、色々な方々とお会いしお話しする機会に恵まれ、ハムの違った面の楽しみ方を経験できた事を嬉しく思っている。(1993年11月記)」


写真1. (左)国連ビルの屋上にて、左からNV2G(JA7AUM)石戸谷氏、W2/JA2LQF大島氏、
WV2Y(JA1WSA)青木氏、KE2YX(JA6ITP)池田氏、WZ1A(JA6TIT)山口氏。(右)4U1UNのQSLカード。

JA1BNW廣島孝之氏は、国連本部の4U1UNを運用したとアンケートを寄せてくれた(写真2)。「1992年11月、4U1UNの管理責任者であるN2ATF小林さん、WZ1A山口さんの許可のもとで運用しました。14-28MHzのCWで約500 QSO出来ました。免許はFCC発行のN1APFを使用しました。(1994年1月記)」


写真2. 国連本部の4U1UNを運用するN1APF(JA1BNW)廣島孝之氏

1992年 (米国 KI7BO)

JF3PLF杉浦雅人氏はN7DUUで活躍してこられたが、VEの試験を受けてAdvancedにアップグレードしたと報告してくれた(写真3)。「初めてアメリカへ旅行した1982年、シアトルでFCCの試験を受けN7DUU (General)の免許をもらいました。あれから10年、振り返ってみれば日本との相互運用協定も、日本でのVE試験もなかった時代でした。シアトルでお世話になったFlorenceおばさん(KC7BU=現KU7F)の勧めで、"The Final Exam"なる受験参考書を3日間猛勉強し、辞書片手に試験を受けたのを思いだします。今回は前回と打って変って、日本にいながらにして試験を受けることができました。日本に3チームあるVEチーム(東京、浜松、大阪)のうち、大阪のVEチームにお世話になったのです。受験後すぐに採点してもらって合格証を受取り、その約2ケ月後にKI7BOのコールサインの正式のライセンスを手にしました。免許証も随分変り、以前はコールや住所をカーボンコピーでタイプした黒く汚れた免許証でしたが。今ではレーザープリントのFBなものです。おまけに、携帯用と掲示用の2枚印刷してあるのもアメリカならではでしょう。ただし、この免許証には"レーザープリントがはげる場合がある"との注意書きがあり、私はFCCの勧めに従って、サインした後ラミネート加工を施しました。今回20WPMのCWの書き取りができず、Extraまでは取れませんでしたが、いずれまたチャレンジしたいと考えています。さあ、この免許を持ってどこへ行こうかな。(1992年6月記)」


写真3. KI7BO杉浦雅人氏の免許状、(左)掲示用、(右)携帯用。

1992年 (メキシコ XE/JA1QXY)

JA1QXY花崎豪氏は、メキシコでXE1/JA1QXYの免許を得て運用したと、アンケートを寄せてくれた(写真4及び5)。「1992年1月に免許申請、2月に入手し即運用開始。1991年秋にXE-Wの相互運用協定が発効し、JA局にも試験無しで(それ以前はすべて試験が必要だった)、申請すれば免許が貰える事になった。但し、業務ビザ(FM-3)が必要で、観光目的のツーリストカードでOKかどうかは不明。免許はビザの有効期間内で、6ケ月単位ごとに更新が必要。住居(アパート)の関係でVertical(DX-88)とFT-1011のコンビにてQRV。それでもJAのBig Ant化のお陰で、2年間でコンテストを含めて、5,000局程度とQSO。3.5~28MHzのWARCを含むAll BandにてJAとQSO可能。モードはCW/RTTY。但し、1994年はSunspot低下でコンディション悪く、EUが聞こえにくくなって、ほとんどWを相手にしている。(1994年4月記)」


写真4. XE1/JA1QXY花崎豪氏のQSLカードの表と裏。


写真5. XE1/JA1QXY花崎豪氏の免許状。

1992年 (ホンジュラス JH1IQC/HR2, HR2IQC)

JH1IQC木村清和氏は、ホンジュラスの免許を取得して運用したと、アンケートを寄せてくれた(写真6~9)。「私はホンジュラスの電信電話公社で2年間働いていました。この国の電波監理業務は、電信電話公社が行っている為、比較的早くライセンスを手に入れることが出来ました。とは言っても6ヶ月程かかりました。通常で1年程かかるそうです。免許申請時に、日本から持参した英文のライセンス証明書を添付した為、JH1IQC/HR2のコールが下りました。私と一緒に申請した日本人の友人は、ライセンスの証明を添付しなかった為、最初からHR2SOJというコールが下りました。私は不服に思い、コールサインの変更申請をし、2ケ月後にHR2IQCを手にすることが出来ました。2年間在住していましたが、実際運用したのは1年4ヶ月でした。ホンジュラスで、HFの各バンドを受信してみると、Wやカリブ海の局が常に聞こえていて、アジア、日本はなかなか入感しにくいようでありました。そこで日本以外のアジアの局は、私が運用していた期間ではほとんど聞くことが出来ませんでした。1.9~50MHzまで運用しましたが、私が一番QSOをして面白いバンドだと思ったのは3.8~18MHzでした。1.9MHzについては、3週間日本と毎朝スケジュールを組み運用しましたが、2局しかQSO出来ませんでした。しかし、3.8~21MHzは比較的コンディションが安定していた為、多くのJA局とQSOする事が出来ました。使用していたアンテナは、1.9, 3.8, 7, 10, 18, 24MHzが18m高の逆V、14, 21, 28MHzは18m高のTA33Jr、50MHzは18m高の5エレ八木でした。(1994年2月記)」


写真6. (左)HR2IQCのシャックにて木村清和氏。(右) HR2IQC木村清和氏のアンテナ。


写真7. HR2IQC木村清和氏のQSLカードの表と裏。


写真8. JH1IQC/HR2木村清和氏の免許状の表と裏。


写真9. HR2IQC木村清和氏の免許状の表と裏。

1992年 (セントビンセント J8/N2HNQ, J80X)

JH4IFF右遠光政氏は、J80Xを運用した時の事を、準備段階から日記風にまとめ"J80X WHOLE STORY”とした4ページの記録を送ってくれた。「(一部抜粋) 1992年8月8日:約7時間掛かって、なんとか無事にJ8到着、J88AQが迎えに来てくれている。今まで迎えがあった事などないので、少し感激。車で彼の家に向かう途中にテレコムからの手紙とも免許ともつかない文書を受け取る。J88AQのこれで運用しても良いとの言葉に元気100倍!とりあえず、彼の家からJ8/N2HNQで21MHzのJANETにチェックイン。しかし、コンディションは最悪で、U.S.A.本土からもJAは全く聞こえていない様子。何とも先が思いやられるが、J88AQに予約して貰っていたグランビューホテルにチェックイン。ホテルの外を一周してみるが、使えそうな機材や良い場所がないうえ、もう夕方になって暗くなってきているので、アンテナ工事は断念。J88AQに電話してアンテナ用のパイプの調達を頼む。暇なのでリグのセッティングした後、部屋の中で明日に備えて、R7を部分的に組み立てる。8月9日:いつもの通り朝早く目が覚める。何もすることがないので、他の客がうろつく前にアンテナを持ち出して同軸を引っ張る。R7用のパイプがないので、しばらく工事中止。昼前になって誰かがパイプを持って訪ねてくる。少し話してみると、彼こそがJ88BS、結局アンテナ工事まで手伝ってもらった。R7は少し重かったので非常に助かった。彼にJ85Aをもらったと言うと“それはノビスのコールで誰か使っているはずだが?”とのこと。免許を見せると“テレコムが免許したのだからOKなのだろう”との話。少し不安がよぎるが余り気にしないことにする。16:22ZからJ85Aで18MHzのCWにQRV。アンテナ、リグとも調子はまずまず。J88BSの話が気になったので、17:37ZからJ8/N2HNQに変えて、RTTYにQRV。NX1L秋山さんやW6/G0AZT, Eddie、WA6AHF, RubinともQSOできた。G0ARFなど聞きなれたコールの他に、5V7DPやDJ6QTなども呼んできた。思わず顔がほころんでいるのが自分でもわかる。RTTYが中心なので局数が伸びないため、10MHzのCWにQRVして局数稼ぎをする。意外とできるのでまず満足。03:47ZにQRTした。8月10日:朝食後J88AQと免許の最終確認にテレコムに行って、担当者のドニーに免許について話をする。最初に彼が"J85Aは使ったか?”と聞くので“数局とQSOした”と返事した。彼は少し困った顔をして、“手違いで申し訳ない。J85Aは既に発給されているので、コールを変更してほしい”との事。結局途中からJ85Aの使用を中止したのは正解だった。40局しかQSOしていなかったので、あまり問題は無いだろうと、自分で納得する。“J85と既に発給しているコール以外だったら何でも良い”と言うので、少し迷ったが、J80がCWで打ち易そうなので、“J80Xがいい”と言うと即座にOK。新しい免許をくれるのかなと期待したが、その場で免許のコールをペンで修正して、彼のサインをしただけ。これには少しびっくり。でもカリブだからこんな物だろうと納得する。免許料を支払って、スタンプを押してもらった後に、ドニーが言うには“これで1年間はいつでもJ8/N2HNQとJ80Xを使用することができる。免許料を払えば更新可能で、免許料を払わなくともJ80Xは5年間だけあなたのコールとしてリザーブされる”との事。最後に“J80XはDXとのQSOだけに使用すること”と注意される。コンテストだけと言われるかと思っていたので非常にラッキー。(1992年9月記)」

1992年 (キュラソー PJ2/NX1L, PJ2IARU)

JH1VRQ秋山直樹氏は、2回目のPJ2/NX1Lの運用について、アンケートを寄せてくれた(写真10及び11)。「IARU第2地域会議(1992年8月31日-9月4日)にARRL代表団の一員として出席した折の運用。第1回目(1989年10月)の運用に際しては、オランダ王国とアメリカ合衆国との間の相互運用協定を利用して運用許可書を取得したが、第2回目に際しては、主官庁であるLandsradioとは直接コンタクトを取らなかった。と言うのは、会議の主催団体であるVERONAが、出席者全員の特別運用許可をとりつけてくれたためである。(1992年12月記)」


写真10. (左)PJ2/NX1L秋山直樹氏のQSLカード。(右)NX1Lのシャックにて秋山直樹氏。


写真11. PJ2/NX1L秋山直樹氏の免許状。

JH1VRQ秋山直樹氏は、PJ2IARUを運用したと、アンケートを寄せてくれた。「ARRL代表団の一員として、IARUの第2地域会議(1992年8月31日-9月4日)に出席、会場となったHoliday Beach Hotelに設置されていた特設局PJ2IARUをしばしば運用した。(1992年12月記)」

1992年 (南サンドウィッチ VP8SSI, VP8CBD)

JE3MAS高津宏幸氏は、南サンドウィッチ諸島へのDXペディションに参加された時の事を、アンケートで寄せてくれた(写真12)。「参加したすべてのオペレーターが、個人の免許を取得(私はVP8CBD)、運用はグループのVP8SSIを使用し、約40,000局とQSOしました。VP8の免許はフォークランド、南サンドウィッチ、南ジョージア、英国の南極領で有効で、手数料£10さえ払えば誰でも取得できます。南サンドウィッチの帰りに、南ジョージア、フォークランドからも運用しました。(1992年5月記)」


写真12. VP8CBD高津宏幸氏の免許状。

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