海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
今回は1999年の3回目で、オセアニアは北マリアナ諸島、南北アメリカは米国とペルー、アフリカはガーナと、世界の多様な国々からの運用を紹介させて頂きます。尚、今月の「あの人は今(第42回)」は、JA4DND松浦博美氏の紹介です。
JA3ART海老原和夫氏は、北マリアナ諸島のサイパン島でKH0/N3JJとしての運用をアンケートで寄せてくれた(写真1及び2)。「1999年1月のJARL京都クラブ(JA3YAQ)新年会時に、しばらくクラブ行事としての海外運用をしていなかったので、私が1年前の1998年10月にKH0のレンタルシャックから運用を経験し、様子の分かっている近場ではあるが手軽に行けて家族連れでも楽しめるKH0からの運用を提案し参加者を募ったところ、早速JA3AJ(N7EIU), JA3RR, JA3KWZ(AE4SU), JH3QNHとXYLのJH5IXG, JH3TXR(KF8TW), JF3PLF(K7IL)から参加希望があった。早速このレンタルシャックを取り扱っている旅行代理店との打ち合わせに入り、日程も7月29日出発、8月2日帰国ということに決まった。RIGsや主要なアンテナ類は現地に置かれているが、運用前にアンテナの組み立てやRIGsのセッティングは運用者でする必要がある。アンテナ撤収時は雨だったのでレインコートを着ての作業や濡れたアンテナの処理などで大変だった。アンテナ調整で困ったことがあった。すぐ近くにFM放送局があり、アンテナ・アナライザーがどの周波数でも針が振り切ってしまい、同調点が分からずSWR最小点の判別できないという事象が起こった。他に現地シャックには準備されてない3.5MHz用ワイヤーDP、サテライト用アンテナなどはJAから持参した。補修用パーツとして念のために持参したバランが偶然にも役に立った(現地アンテナに付属のものが焼損していた)。3波同時運用が可能だったので、周波数毎に2時間間隔での運用希望枠をつくり、空いている枠に自身のコールサインを書き込み、24時間運用を行なった。
写真1. (左)KH0/N3JJを運用する海老原和夫氏と、(右)そのQSLカード。
キッチン付きの広いコテージだったので食事は原則自炊とし、空き時間に滞在中レンタルしている車でダウンタウンまで食材の買い出しに出かけた。ついでに島内観光も楽しんだ。2日目の夕食はホテルのプールサイドでのBBQを皆で楽しんだ。
写真2. (左)コテージのキッチンに立つ海老原和夫氏。(右)プールサイドでのBBQを楽しむ参加者達。
アンテナ設置のロケーションは良く、コンディションにも恵まれ、50MHz、サテライトも含んで総QSO数は8,669QSOであった。YLアワードのために、ぜひQSOをしたいと事前にSKDを申し込んできたVK3DYLとVE7YLとも7月30日にJH5IXG(JH3QNHのXYL)と21MHz, SSBでQSOが成立した。事故や大きなトラブルに遭遇することもなく、実質4日間の無線運用。その合間での島内観光も楽しみ、8月1日22:05ZのQSOを最後にアンテナなどの撤収を始めた。アンテナ撤収時はあいにくの雨で、濡れたエレメントを拭くなど少々難儀した。後始末もすべて完了し、時間通リにホテルの送迎バスで空港まで送ってもらって、帰路の飛行機は定刻より30分早く関西空港に向けて出発した。(2021年11月記)」
JF3PLF杉浦雅人氏も、サイパン島からK7IL/KH0として運用したと、アンケートを寄せてくれた(写真3~5)。「JARL京都クラブ(JA3YAQ)の創立50周年を記念して、メンバー8人でサイパンへ行きました。1982年に私が初めてDXペディションに行ったのが、このサイパンでしたので、17年経って再びここへ戻ってきたことになります。ただ、今回はレンタルシャックのお陰で、大変楽ちんなペディションでした。何も持って行かなくても、そこにはリグもアンテナも揃っているのですから。今回は8人という大所帯のペディションだったので、なかなかオペレートの順番が回ってきません。そのお陰で、前回訪ねた場所も含め観光もできましたし、前回強烈な印象を残してくれた(?) ビーチのナマコ達とも再会することができました。その傍ら、3日半という短期のペディションでありながら、私自身2,000局余、グループ全体で8,600局余のQSOができたことは、なかなかの成果ではなかったかと思います。とりわけ西太平洋は、ヨーロッパから見ればカリブのような存在。深夜まで呼ばれ続ける快感も味わうことができました。また、クラブ局W8YAQで初めてQRVできたこと、KH0/JA3YAQでもサービスができたことは、クラブにとっても大きな足跡でした。この時のメンバーは、JA3ART(N3JJ), JA3KWZ(AE4SU), JF3PLF(K7IL), JA3AJ(N7EIU), JH3TXR(KF8TW), JA3RR, JH3QNH, JH5IXGでした。(2021年11月記)」
写真3. (左)K7IL/KH0を運用する杉浦雅人氏と、(右)そのQSLカード。
写真4. (左)K7IL/KH0他3局が同時に運用。(右)ガーデンに設置したアンテナ群。
写真5. (左)プールサイドでのBBQを楽しむ杉浦雅人氏。(右)参加者全員で記念写真。
JI3BAP松田明浩氏は、仕事で米国コロラド州に駐在時、AB0IHの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真6~9)。「HFで日本とQSOすることが目的だったので、免許はエクストラを目標にしました。VECをノビスから順番に5クラス受けて取得しました。VECはSwapfest(関ハムのようなイベント会場)で実施されていて、州内の会場に出かけて行って受験しました。アパート住まいだったので、HFは車で公園などに出かけて行って運用していました。普段はハンディートランシーバーで、近くの山(パイクス・ピーク標高4301m)にあるレピーターを使って交信していました。とは言え、ラグチューするほどの英会話力はなかったので、ロールコールを中心に楽しんでいました。色々なロールコールがあって、聞くだけでも面白かったです。エクストラ合格後、ローカルクラブ(Pikes Peak Radio Amateur Association)の案内状が郵送されてきました。クラブミーティングに参加すると大変歓迎してくれました。エクストラのライセンスを持っているということで、みんな一目置いてくれました。当時は、まだ20WPMのCWの受信試験があったので、合格するのは難しかったのです。市民ウォーキングのイベントで通信係のボランティアをしたり、フィールドデー、キッズデー、Armed Forces Dayなどで、各種コンテストに参加したり、短い期間ではありましたが、アメリカのハムライフを楽しむことができました。(2015年2月記)
写真6. (左)AB0IH松田明浩氏の免許状。(右)AB0IH松田明浩氏が参加したローカルクラブの機関紙。
写真7. (左)AB0IH松田明浩氏のシャックと、(右)そのQSLカード。
写真8. (左)Pikes Peakの風景。(右)Pikes Peak頂上の標識の前でAB0IH松田明浩氏。
写真9. (左及び中央)AB0IH松田明浩氏が参加したフィールドデーの風景と、(右)その記念バッチ。
JA3VXH津高隆氏は、大阪のVEでFCCのExtraの免許を得て、米国に行くたびに運用を楽しんでいるとアンケートを寄せてくれた。「Osaka VEでKB7OBUの免許を得て、仕事でU.S.A.へ行くたびに、ワシントン州ケントの友人KU7E, KU7F宅で、 21, 14MHzのSSBとCWでQSOを楽しんでおります。(1999年1月記)」
JA1HZ森井欣央氏は旅行でペルーを訪問し、相互運用協定の免許で運用した経験を、CQ誌に投稿したと知らせてくれた。この1999年は日本人ペルー移住100周年にあたり、両国の交流の歴史を記念した記念郵便切手が発行されています(写真10)。「-CQ誌1999年5月号より抜粋- 1999年3月14日、OA4PQのシャックから OA4/JA1HZのコールサインで運用しました。あいにくHFではJAとのコンディションが開けず、現地局と144MHz, FMで交信しました。JARL国際課に確認したところでは、これが昨年8月1日施行になった、日本とペルーとの相互認証に基づく初の運用となるとのこと。なお、ペルーでの免許の関連情報は、JARLアマチュア無線FAXサービスから入手可能です。(1999年5月記)」
写真10. 日本人ペルー移住100周年記念郵便切手の発行案内書の表紙と記事の一部。
JH8PHT高崎一夫氏は、ガーナの首都アクラに仕事で短期滞在中に、免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真11及び12)。「1998年12月2日にガーナのNCA (National Communications Authority)に行き、アマチュア無線について聞いた。その場で、免許申請書、全9ページを貰う。同日、申請書を書き、写真を撮って持参し提出したところ、その場で受理してくれた。その後2週間で内容確認。内容確認後、3週間目に手数料50,000セディ(約2,500円)を小切手で支払った。支払先はNCAとなります。12月16日に50,000セディの支払い確認書を貰う。そのあと、それをもって、更に免許の発行となる。12月30日には出来上がっていたが取りに行けず、12月31日に受け取りに行った。電波監理局長J. K. Gyimah氏より直接発行して頂いた。9G5DX(欲しいコールが貰える)。1999年1月4日に、GARS(ガーナアマチュア無線連盟)のJackson氏に会い、GARSでの運用をお願いする。大変快く了解してくれた。1月7日、9G0ARSのシャックを使用し、9G5DXを運用。約30分で20局のEU局とQSO。1月9日、10MHzで約200局のEU, JA, WとQSO。その後3.5MHz, CWから29MHz, FMまでのWARCバンドを含むSSB/CWでQRV、1月26日のQRTまでの間に、約1,200局とQSOしました。その内、VK局とは2局のみ、アフリカはZS, 5N, 9G, ET, TZ, 6W, 7X, CN8と8エンティティに止まった。JAは640局と全QSOの約50%を占めた。JAの開ける時間は、朝06:00Z~09:00Zに14MHz以上の周波数でロングパス。そして夜は20:30Z~23:00Zに、3.5~7MHz(10MHz)がOpenしていた。3月10日よりQSLカードの発行を開始しました。現在100通程のDirectによる請求が来ているが、ほとんどのカードはBureau経由となると思われます。有り難うございました。(1999年3月記)」
写真11. (左)9G5DX高崎一夫氏の免許状と、(右)そのQSLカードの表と裏。
写真12. CQ誌1999年5月号に掲載された、9G5DX高崎一夫氏の記事の一部分。
「あの人は今(第42回)」JA4DND松浦博美氏
JA4DND 松浦博美氏の、T88NDの運用については(その114)2022年9月号で紹介させて頂きましたが、松浦氏はその前後にも海外から運用された他、現在も松江市からアクティブに運用しておられます。その様子はFBニュースの2019年4月号の「今月のハム」でも紹介されています。そのJAのDX界の重鎮のお一人でもある松浦氏から近況を知らせて頂きましたので、ここに紹介させて頂きます(写真13~17)。「私の海外運用はそれほど多くはありませんが、T88ND以外の主なものは、1997年のVP2END, FS/JA4DND、2000年の9M0F(マレーシア領スプラトリー)、2007年のDX0JP(フィリピン領スプラトリー)、2012年の9M6/JA4DND、2017年の4U1ITU、2019年のC37ACなどがあります。1997年のVP2E及びFSは初めてのカリブ遠征でしたが、ローバンドでJAとやりたくてCV48とFL-2100を担いで行きました。まだ40代後半で若かったから出来たのかも知れません。2000年の9M0F(マレーシア領スプラトリー)はコタキナバルから小型飛行機で1時間余りでしたが、持ち込んだグラスファーバーポールが折れて160mが不発に終わったのは経験不足からで大失敗でした。7年後のDX0JP(フィリピン領スプラトリー)でその雪辱を果たすべく万全の準備で、160mは2エレ・フェーズド・アレーを持ち込み、アメリカ東海岸を狙ってW4ZVにNEWを提供できたことは大きな成果でした。しかし昨今の東シナ海周辺の国際情勢は非常に緊張状態にあって、今まで通り運用ができるか心配です。
写真13. (左)VP2ENDとFS/JA4DNDの松浦博美氏のJA5AUC三ツ田武志氏との共用QSLカード。
(右)DX0JP松浦博美氏達のQSLカード。
2017年の4U1ITUは、ドイツのHAM RADIOの前に運よく運用許可を得て、数日の間オフィスアワーに運用が出来たものですが、2022年後半にはビルの解体、新設工事が始まる予定から今後6-7年は運用出来ないと思われます。2019年のC37ACアンドラは、6mでJAサービスを目論んでドイツでのHAM RADIOの帰りに、親日家のC31CT, Salvaの厚意でクラブ局を運用させてもらうことになりました。Salvaがわざわざスペインのバルセロナまで車で迎えに来てくれ、片道3時間のドライブでピレネー山脈の小国アンドラにたどり着きました。山頂のリモートシャックには日本の国旗まで準備して歓迎してくれたことは今でも心に残っています。肝心のJA向け6mは開けませんでしたが、帰国後C31CTは毎日6mでCQを出してくれ、私も含めて多くのJAがQSO出来ました。
写真14. (左)ITU本部の4U1ITU局にて、左から運用管理責任者Nick氏、JA4LKB上田茂氏、JA4DND松浦博美氏。
(右)山頂にあるC37ACのリモートシャックにて、左からC31CT, Salva氏、JA4DND松浦博美氏、JA4LKB上田茂氏、他2人のローカルのハム。
最近の10年間は、春から秋まで農家モード、秋から早春までDXモードというパターンになっていますが、ここ数年2つともきつくなってきて、農家モードはかなり縮小しました。一方アンテナのメンテも自力で出来る範囲が少なくなってきて、40mのタワー登りはやめました。残された楽しみは6m DXCCとChallengeですが、このハードルは非常に高く感じています。今の体力と気力がいつまで続くか不安を感じながら、いつかはリタイヤしなければと覚悟を決めていますが、昨年は、オリンピックの聖火ランナーとして、島根県奥出雲町を元気に走らせて頂きました。
写真15. (左)コンバインを操縦し、農作業に勤しむJA4DND松浦博美氏。
(右)オリンピックの聖火リレーに参加したJA4DND松浦博美氏。
一方、CQ誌のローバンドコーナーを担当して8年目になりますが、この期間に世界中のDXペディショナーや、活躍している多くのDX’erとの交流で多くのことを学ぶことができました。更に2014年からドイツ南部のフリードリッヒスハーフェンで開催されるHAM RADIOに毎年参加するようになり、直接海外のDX’erと交流する機会も増え、JAに対する期待や課題を聞くことができました。単にQSOするだけのDXから、少し世界が見えてきた感じがしています。その一例として、最近DXの主流になってきたFT8は、世界全体のQSOの約70%とも言われています。限られた条件の中で効率的なQSOを目指すことは重要で、FT8は今まで以上にPCのデコード性能に依存する要素が大きくなりました。PCの性能を少しでも引き出す工夫も必要です。しかしFT8モードに偏り過ぎるとCWのQSO能力が低下しますので、自分でCQを出して、ある程度のパイルをさばけるくらいの技量はぜひ保っておきたいと努めています。
写真16. (左)JA4DND松浦博美氏のIC-7851やIC-7700が並ぶシャック。
(右)高さ23mの足場を組んで6mのアンテナをメンテ中のJA4DND松浦博美氏。
また、昨今のDXペディションは大型化し、その費用も莫大となってとても参加者だけの負担では賄え切れなくなってきました。有力なスポンサーだけでなく世界中のDXクラブや個人からの寄付が必要になってきています。しかし従来からJAでは大きなDXクラブがほとんどなく、個人の寄付が中心で、しかもQSO出来たらQSLの請求時に御礼としていくらかの寄付を送るのが一般的でした。有力なDXクラブの多い欧米の国々との大きな違いでした。しかもペディションとなればJAはその圧倒的な局数の多さからJAの山をさばくのがチームの一大業務といわれるくらいその存在感は大きなものがありました。そのアンバランスの中で2000年以降、徐々にJAの中でまとめてドネーションをする動きが出てきました。例えばJA1ELY 草野さんらによるK5D(2009)、FT5ZM(2014)やK1N(2015)などでした。JAのDX’erに広く呼び掛けてまとまった寄付をチームに送ることで彼らの計画をサポートしたため、JAを意識した運用がなされるようになってきました。この流れを受けて私が会長を務めているFEDXPでは、有志によって2016年に計画された南サンドウィッチ諸島VP8STI及び南ジョージア島VP8SGIのサポートチームを発足させて、情報の発信とドネーション活動を展開しました。JAからJH4RHF田中さんが参加されましたが、「JAがえらく燃えているぞ」とチーム内で話題になったそうで、随所にJAを意識したQSOの場面がありました。その後、2016年のファンデノバ島FT4JA、2018年のブーベ島3Y0Zやセントブランドン島3B7AでもJAからのサポートを続けました。そして、この活動の継続に加え、JAのオペレーターのマナー向上を含む啓蒙活動や、情報提供による効率的なQSOのサポートをするため、2017年末にFEDXPの活動の一つとして賛同者からの基金をベースに「FEDXP FOUNDATION」を設立しました。その運用基準は次のURLからご覧頂けますが、活動の実績など詳細についての紹介は、別の機会に譲りたいと思います。http://www.fedxp.com/foundation/index.html (2022年8月記)」
写真17. (左)サポートしたVP8STI/VP8SGIのロゴマーク。
(右)設立したFEDXP FOUNDATIONのロゴマーク。
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