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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その125 海外運用の先駆者達のエピローグⅡ

JA3AER 荒川泰蔵

2023年8月1日掲載

海外運用の先駆者達のエピローグⅡ

今回で10余年間の連載記事を終らせて頂きます。前回は読者の皆さんからのメッセージを掲載させて頂きましたが、今回は筆者の反省を含めた振り返りです。記事の基となったアンケートをお寄せ頂いた海外運用者の方々には勿論、長期の連載をご覧頂き、お励ましを頂きました読者の皆様方にも、改めてお礼申し上げます。またCQ ham radio誌に掲載頂いた内容を、形を変えてウエブ雑誌への掲載をご了解頂いた、CQ ham radio編集部の方々、長期に亘り編集/掲載下さった月刊FBニュース編集部の方々にも、改めてお礼を申し上げます。この月刊FBニュースが恒久的に継続し、この連載記事がいつまでも閲覧できることを願っています。

原稿執筆の始まり

10年前の2013年1月30日、アイコム株式会社のJS3CTQ稲葉浩之氏が大阪狭山市に訪ねて来られ、ウエブ雑誌「月刊FBニュース」を刊行することになり、その編集長を務めるので、海外運用の連載記事の執筆をと依頼されました。アイコム株式会社の前身は井上電機製作所で、創業者は言わずと知れたJA3FA井上徳造氏であり、アマチュア無線の大先輩のお一人として早くからご指導を頂き、また何かにつけてお引き立て頂いて、該社のウエブ雑誌「週刊BEACON」の「アマチュア無線人生いろいろ」のコラムにも、記者(社長室顧問・元電波新聞社記者)吉田正昭氏を10回に亘り、拙宅まで派遣して取材頂きながら、2006年1月から11月までの約1年間に、42回の連載記事を執筆/掲載頂いたことがあることから、その井上徳造氏の意向を受けての依頼だろうと、お引き受けすることに致しました。アイコム株式会社と云えば、米国駐在中に該社の米国法人会社に勤務されていたJA3JM清水彰夫氏や、JH3HWL箭野佳照氏には大変お世話になりました。ある時、箭野佳照氏に、どうしてそんなに親切にしてくれるのかと尋ねたところ、「井上社長からアマチュア無線家には親切にするよう指示されている」との返事が印象に残っています。この箭野佳照氏も今回の「月刊FBニュース」には間接的に係わっておられたと伺っています。また稲葉浩之氏には、奈良DXアソシエーション(NDXA)で長年お付き合い頂き、NDXAの機関誌の編集/発行でもお世話になった仲ですので、早速どの様な原稿にすべきか、具体的な相談をさせて頂き、創刊号から投稿させて頂きました(写真1)


写真1. (左)米国駐在時にお世話になった、アイコム株式会社の現地法人会社の駐在員であったJH3HWL箭野佳照氏(1982年、アイコム株式会社の米国法人会社にて)。(右)大阪狭山市まで連載記事の依頼に来られたJS3CTQ稲葉浩之氏(2013年、大阪狭山ラジオクラブの無線室にて)。

バックでサポート頂いた井上徳造氏とのご縁

井上徳造氏は、筆者がシャープの社員であった頃から、シャープには足を向けて寝られないと言っておられ、理由をお尋ねすると、シャープの医療機器製造の協力会社でもあった時代に、シャープから借用していた測定器などを、シャープが医療機器事業から撤退する際に返済を申し出たが、その必要はないとのことで、そのまま借用してアマチュア無線機器の開発や製造を始めて、その事業が成功したと恩義を感じておられたようです。そんな事情もあって、アマチュア無線の大先輩のお一人として、大阪国際交流センターラジオクラブの先輩JA3AA島伊三治氏やJA3UB三好二郎氏達と並んで、種々ご指導頂くなどお世話になり、海外駐在時にも日本からのサポートを頂きました。また米国駐在から帰国した1988年頃に、JA3FA井上徳造氏、JA3IG葭谷祐治氏、JA3AA島伊三治氏の3名が主宰された「807昔を語ろう会」にもお誘い頂き、多くの先輩達をご紹介頂きながら、今に続いています(写真2及び3)


写真2. 2005年、大阪は心斎橋の中華料理店「大成閣」で開催された「第13回807昔を語ろう会」風景。(左)左からJA3UB三好二郎氏、JA3AER筆者、JA3FA井上徳造氏、JA3AA島伊三治氏。(右)参加者の集合写真、前から2列目、左から6人目がJA3FA井上徳造氏。


写真3. 2006年、大阪は心斎橋の中華料理店「大成閣」で開催された「第14回807昔を語ろう会」風景。(左)JA3USA島本正敬氏の司会で、「807昔を語ろう会」の主宰者3名が順次挨拶された。壇上で挨拶するJA3FA井上徳造氏、左側で待機する左からJA3IG葭谷祐治氏とJA3AA島伊三治氏。
(右)食事のテーブルで歓談する、左からJA3AER筆者とアイコム株式会社のJN3VWW吉田正昭氏。

終盤の記事をFBニュース編集部と相談

連載記事の終盤に近付いた2023年4月21日、投稿の終了についての報告と、エピローグについて相談すべく、アイコム株式会社の本社を訪問させて頂きました。JS3CTQ稲葉浩之編集長、JR9TUG松平宗亮編集員、それに青木裕康宣伝広告部長にも加わって頂き、本社ロビーの応接コーナーで打ち合わせを行った後、近くのレストラン「がんこ平野郷屋敷」に席を移して、昼食をとりながら種々助言を頂きました(写真4)


写真4. (左)アイコム株式会社の本社ビル。(右)レストラン「がんこ平野郷屋敷」の玄関に飾られた端午の節句人形の前で、左から青木裕康氏、JA3AER筆者、JR9TUG松平宗亮氏、JS3CTQ稲葉浩之氏。

執筆活動での苦労と幸運

執筆活動を振り返ると、長くもあり短くもあった10年間でした。海外運用のアンケートをお寄せ頂いた皆さんや、「あの人は今」のコラムに近況をお知らせ頂いた皆さんの思いを十分盛り込めて、ご期待に添えたかどうか自信はありませんが、それらを提出頂いた皆さんのご努力を想像しながら、記事に盛り込もうと執筆活動を続けさせて頂きました。それには当然いろいろな苦労もありましたが、得るところも多く幸運に恵まれたと感じています。

「あの人は今」のコラムは別として、お寄せ頂いたアンケートは、20世紀の海外運用の記録であり、インターネットは勿論、PCやワープロなども普及していない時代でしたので、手書きのアンケートや手紙を見ながらPCのワープロに入力せねばならず、またQSLカードを含む写真や、免許状のコピーなどの書類は、デジタル化の為にスキャンしなければならず、執筆以前の作業にかなりの時間を費やしました。そして写真などの選択や組み合わせを含む、記事の構成を考えながらの記事原稿は、校正や推敲をしたつもりでもタイプミスや漢字変換ミスなどを、月刊FBニュース編集部から指摘されることもしばしばで、歳を重ねると共に体力や記憶力の衰えを感じ、良い時期に執筆を終えさせて頂けたと思っています。今から10年間余りかけての執筆となると、卒寿を越え白寿に近づくので到底無理だったでしょう。

2019年4月に月刊FBニュースの編集部から、この連載記事へのアクセス件数が、他の記事と比較して低いとの指摘があり、早速5月にアイコム本社を訪問し、JS3CTQ稲葉編集長とJG3LUK坂井靖編集員からその詳細をお伺いして、対策の打ち合わせを行いました。記事の内容を変更することが難しい性格の記事であるため、対策として、1. 毎月公開時に筆者の所属する複数のクラブのMLでメンバーに知らせて、ご覧頂くようお願いすること、2. タイルメニューのデザインを変更して目立つようにすること、3.「あの人は今」のコラムを新設することなどを決め。MLでの公開のお知らせは即刻、その他は7月号から実施しました(写真5及び6)


写真5. 変更前の2019年4月号から6月号までのタイルメニュー。掲載記事中のQSLカードをそのまま使用していた。


写真6. 変更後の2019年7月号から9月号までのタイルメニュー。掲載記事中のQSLカード4枚を組み合わせ、中央に丸い地図を配して「海外運用の先駆者達」とタイトルを入れ、イメージを統一した。

「あの人は今」のコラムの新設については、当然のことながら新しく原稿を依頼せねばならず、公募として掲載記事の中で呼び掛けたのですが、筆者が直接メールや手紙で依頼した方々以外からの応募が無く苦労しました。「海外運用の先駆者達」に掲載させて頂いた方々の中には、既に亡くなられた方もおられ、直接依頼するには現在でもお付き合い頂き、住所又はメールアドレスが分かっている方々に限られることになりますが、連載記事は進行中ですから、このコラムを途切れさせないために、原稿の依頼を連発して続けさせて頂きました。快くお引き受け頂けた方がおられる一方、返事の無い方もあり、事情があってお断わり頂く方も少なくなく、この継続には苦労しました。最後の4回は、既にこのコラムに掲載させて頂いた方々で2回目になりますが、その後もアクティブに活動を続けておられる4人にお願いしましたところ、快くお引き受け頂き、最後まで途切れることなく誌面を飾らせて頂くことが出来ました。

10年間余りの記事執筆期間中で他に良かったことは、疎遠になっていた人達へメールや手紙を出す機会となり、近況や新しい情報を得ることが出来た事や、交流のなかった読者からのメールなどで、新しく知己を得ることも出来ました。また、先のCQ ham radio誌の記事では、カントリー別に編集しての掲載だったのに対し、今回は時系列で年代別での編集だったことで、自分の過去と対比しながら執筆出来たことで、成長の過程が再確認出来たことなどです。

自分の海外運用の記事を年代順に振り返ってみると、1960年代末期に初めての海外で、東南アジアで知り合った多くのアマチュア無線家は、香港では英国とそのコモンウエルスの国々の人や米国人、タイではベトナム戦争中で米軍の基地があった関係から、米国人がほとんどであり、筆者の1980年代の米国駐在や、1990年代の英国駐在時には、それらの人達が自国に帰国していて、筆者を旧友として歓迎し助けてくれたことが分かります。また一方、中国など初めて訪れる国々でも、日本の先駆者達から無線機の寄贈や技術指導を受けたことを恩義に感じている人達が、後に訪れた筆者に恩返しをしてくれています。今回の連載記に掲載された先駆者の多くが、現地でのアマチュ無線活動を通じて行った国際交流や国際親善が、後に続く人達への道を切り開き、海外運用を容易にしてくれているのではないでしょうか。また早くからのSEANETのロールコールへの参加から、SEANETコンベンションへの参加につながって国際交流の場が広がり、特別記念局の運用の機会も得、後年には米国や英国を含む各地で知り合ったアマチュア無線家との再会の場にもなりました。このような海外での経験が、各地から各種のアンケートを寄せて下さった先駆者達の置かれた立場や活動の状況などが良くわかり、原稿の執筆に役立ったと思います。


写真7. (左)2006年9月、大阪で開かれた、日本で初めてのSEANETコンベンションには、東南アジアを中心とする諸外国から、アマチュア無線家やその家族が参加してくれた。(右)2008年11月、東マレーシアのコタキナバルで開催されたSEANETコンベンションには、英国のアマチュア無線家達の参加もあり再会を楽しんだ。

心残りで残念なこと

連載記事に掲載できたのは、その当時に運用のアンケートを寄せて下さった方々だけですから、実際にはその数倍の方々が、海外で運用されていたと思っています。当時CQ誌の記事をご存じでなく、アンケートを送って頂かなかった方々から、新たにアンケートを寄せて頂く機会を作らなかった事が心残りです。しかし筆者だけではとても出来る作業はなく、それをしていれば今回の連載記事も途中で投げ出していたかも知れません。読者の皆様方にもこの事をご理解頂きますようお願い致します。

また連載記事に掲載させて頂いた多くの方々は、JANETクラブやJAIGのメンバーです。それはCQ誌へのJANETクラブの紹介から始まって、日本人による海外運用の記録の連載記事にたどり着いた経過があり、筆者が所属していた両クラブのメンバーに、アンケートを依頼したのが始まりであったことからです。この両クラブは、ご承知の通り現在もアクティブに活動を続けていますが、縁の下の力持ち的な存在でそれに貢献され、筆者も種々お世話になった方々を、記事中では紹介出来なかった事を残念に思っています。


写真8. (左)1983年5月、米国ニュージャージー州のK2VZ岩瀬有増氏のバックヤードで開かれた、家族ぐるみのJANETミーティングの風景。(右)2004年3月、ドイツからの一行を大阪に迎えて、大阪国際交流センターで開かれたJAIGミーティングの風景。

また、最初のプロローグでもお断わりした通り、筆者の運用の掲載が多くなりました。21世紀に入ってからの海外運用と言い出すとまだまだあり、また海外でお世話になった人達の話になると際限がありませんので、それは今後、私的に随想なり回顧録でも書く機会があれば、そこで記録に残させて頂きたいと考えています。

最後まで、ご覧頂きましてどうも有難うございました。

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