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海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~

その111 韓国、ベトナム、カンボジアなどアジアの国々 1998年(1)

JA3AER 荒川泰蔵

韓国、ベトナム、カンボジアなどアジアの国々

今回は1998年のアジアです。韓国訪問で歓迎を受けたJA3NA鳥羽昇氏や、JA3DYU太宰正昭氏の和文電信仲間とのサイゴン和文DXペディション、JA2EZD米塚廣雄氏のカンボジアの小島への単独IOTAペディションを含む、アジアの6ヶ国での運用の紹介です。筆者はこの年の5月に8年間の英国勤務を終え帰国、10月にシャープ株式会社を定年退職しました。尚、今月の「あの人は今(第36回)」は、JA1INP吉岡生朗氏の紹介です。

1998年 (韓国 HL5/JA3NA)

JA3NA鳥羽昇氏は韓国への親善訪問で、相互運用協定によるHL5/JA3NAの免許を得て運用したと、資料を添えてアンケートを寄せてくれた(写真1~6)。「去る10月24日から27日まで、JJ3HEF福井さん、JH3DEM(私のXYL)と共に韓国南部を訪問しました。釜山金海空港に着くとHL5MK金、HL5BRX李、7J4ADI姜、各OMが出迎えて下さいました。そこからハイウエイで晋州市に移動、地域クラブの歓迎会に招かれ、晋州大学のDS5KUD李総長、慶尚大学病院のDS5FNM白博士、晋州教育大学のHL5RM徐教授、各OMから地方の歴史を学び、夜はHL5BAM高OM地域代表宅にホームステイしてアマチュア無線局を運用しました。25日は晋州城趾を見学して巨済島へ移動、途中モービルからVHFで各局とQSOしましたが、CQ呼出し時にQSY周波数を指定するスムーズな運用が定着していました。


写真1. HL5/JA3NA鳥羽昇氏の免許状。

巨済島(IOTA: AS-081)では事務所長HL5UQZ金OM、コーディネーターDS5IWU金OM、各OMの案内で、韓国第2の造船所を見学しました。凄いトン数のタンカー、社屋上には自立タワーの上に凄いエレメントのHFビーム(業務用)がありました。夕方、巨済市長、機関長、警察所長(ハム)他各局との夕食会に招かれ、夜は地域クラブDS0XWで歓迎会が開かれ、老若男女多くの皆さんと遅くまで家族的なミーティングを楽しみました。事務所長によると巨済島から外国人の運用は初めてのようです。


写真2. 巨済島の造船所前にて、HL5UOZ金事務所長(左から5人目)達との記念写真。
HL5/JA3NA鳥羽昇氏は、後列右から3人目。

26日は高速船で馬山に渡りDS5FNE他各局の案内でHL5BUYオーナーのハムショップを訪れました。韓国や日本製のリグ、アメジャンなど欲しいものがありました。慶州市は奈良市と姉妹都市であり、市役所を表敬訪問し総務局長他、多くの人とアイボールしました。時間の関係で天馬塚を見学後、世界文化エキスポ特別局D98WCX, 6K98WCXを訪問しました。


写真3. 世界文化エキスポ特別局D98WCX, 6K98WCXを訪問時の記念写真。
左から、ガイドのDS5WQX洪(ホン)さん、DS5RQC慶州事務所長、7J4ADI山口県の姜(カン)さん、HL5FOO慶尚北道支部長の金(キム)さん、JJ3HEF和歌山県の福井さん、JH3DEM鳥羽氏のXYLさん、1人おいてJA3NA鳥羽昇氏。


写真4. 世界文化エキスポ特別局D98WCX, 6K98WCXのQSLカード。

4日間で63局とアイボールしましたが、CQ誌ソウル便りのHL1KGF朴OMによりますと韓国の相互運用協定は日本だけで、HL/xxxxの運用は非常に少ないそうです。私のHL5/JA3NAは1年間の限定許可ですが、近くて遠いイルボンではなく友好を深めたいと思います。(1998年12月記)」


写真5. 思い出の写真をあしらった、HL5/JA3NA鳥羽昇氏達のQSLカード。


写真6. 韓国アマチュ無線連盟KARLの機関紙に掲載された、JA3NA鳥羽昇氏達の親善訪問の記事。

1998年 (ベトナム 3W6JD)

JA3DYU太宰正昭氏は、ベトナムで3W6JDの免許を得て、和文電信仲間とサイゴンでCWの運用をしたとアンケートと共に6ページに及ぶ「西貢和文紀行」を寄せてくれた(写真7)。「(西貢和文紀行より抜粋) XV6JP/3W6JP久本さん(JR1TAG-通称は練馬)と交信するたびに、来いこいとしつこく誘われ、平成7年3月に初めてサイゴンへ行き、彼の人力で3W6JD(ジャパン・ダザイ)の免許を取得して毎年行っている。平成10年は、彼のベトナム行き再開10年になるので、昭和18年以来付き合いのあるJA2TG佐名さん(3W6TG-通称は村長)を連れて来てくれと頼まれた。彼と村長と2人で昭和18年当時の若者に戻り、古き良き時代のサイゴン(現地の人はホーチミンと言わない)の思い出に浸りながら町を散策し、無線を楽しんでこの記念にしたいとの事であった。早速この話を村長にしたら、即座に「よっしゃ、行こみやぁ」と言い、昭和18年10月初めて空路サイゴン入りした彼は、サイゴン空港で練馬と初めて出合い、それ以来の付き合いとの事で、55年前の出来事を、まるで昨日の様に熱っぽく語ってくれた。ベトナム行きを電信仲間に伝えると、JA9BV亀山さん(3W6BV-通称は八尾)と、JO2GDT河田さん(3W6GX-通称は伊自良)が同行することになり、我ら4人は3月22日10時にサイゴン空港に到着したのである。

- 中略 - ここまで調子良くやってきたが、税関で持ち込んだIC-756, 電源(230V), アンテナチューナー(AH-4), 同軸ケーブル, アンテナ4本, 部品, ガス半田鏝が通関でもめて、冷房のないところで汗をびっしょりかきながら約1時間、全部持ち帰る条件でようやく放免され、外へ出してくれた。

- 中略 - 日差しが強烈なので、出来るだけ短時間で、楽に作業が出来るように下準備をして、タオルで頬被りをし、腰にタオルをぶら下げた格好で屋上に登った途端に、大粒の汗が吹き出すのだった。目に入る汗を拭きながら、40分で7メガと14メガ、各々のダイポールの仮設と調整を終えたのである。全員、暑さでぐったりとして部屋に戻ったのは14:45であった。日本との約束時間まで15分ばかりあるので、14メガの予め決めておいた周波数で、伊自良がVVVと打つと、直ちにJA3KVH近藤さん(通称は桂)が579で呼んで来た。当方は599との事で、全員無事到着し、設備は全て順調であるが、3.5メガは場所が悪く張るのを断念したと報告を終えた。引き続きJL1CQL米山さんが盛んに村長を呼んで来る、「ワレ、ホンヒ10ジサイゴン55ネンブリニ無事着陸セリ、感無量ナリ」と村長が打ち返すと、あの米山節で「念願ノサイゴン再着陸オメデタウ、万歳、万歳、万歳」と万歳を三唱してくれた。

- 中略 - さて、バンドの状況だが、14メガはほぼ一日中、日本と充分交信できるが、昼間は非常に周期の長いQSBがあり、2分から5分と長く、時には10分と続くので、この谷に落ち込むと全く読めない時がある。和文の出来ない局(したくとも話が出来ない)を相手にしないと、ビートを掛けて邪魔するのが2局いたが、我らは混信に慣れているので影響は全くなかった。一方7メガは日本の日没30分頃から入感し始め、朝6時頃(08:00JST)まで充分交信できる。しかし、東南アジア地域はこのバンドを業務用に使用するらしく、SSBがバンド全体に広がって、出る隙間を探すのが大変面倒であった(日本でも聞こえる)。また、国内専用の打ち上げ角度の高いアンテナ(高さの低いアンテナ)の信号は弱く、SSBにつぶされてしまう時が多かった。

- 中略 - 結局33局(延べ141QSO)と交信出来、他のDXペディションにくらべると局数は極端に少ないが、内容は充実した交信であったので、日本のアマチュア無線史上初の和文DXペディションは大成功であったのである。我ら4人は練馬の見送りを受け、3月25日11時、交信した各局に感謝しつつ、来年も行きたいなと言いながら、サイゴンを後にしたのである。(1999年4月記)


写真7. (左)3W6J太宰正昭氏の免許状と、(右)免許料金の領収書。

1998年 (カンボジア XUX0)

JA2EZD (XU2A)米塚廣雄氏は、カンボジアのIOTA未開の島からQRVしようとXUX0の免許を得て、シハヌークビルの沖合にあるポアー島(Koh Poah)で運用したと、4ページもある手記「XUX0奮闘記」と、3ページの「XUX0奮闘記の解説」に、地図や写真を添えて、タイから英国まで航空便でレポートしてくれた(写真8~12)


写真8. XUX0米塚廣雄氏が、タイから英国駐在中の筆者まで、アンケートと共に多くの資料を送ってくれた航空郵便の封筒。


写真9. (左)XUX0米塚廣雄氏の免許状。(中央)米塚廣雄氏の4頁もあるXUX0奮闘記。
(右)米塚廣雄氏の3頁もあるXUX0奮闘記の解説書。


写真10. 米塚廣雄氏がXUX0を運用したポアー島(Koh Poah)の位置を示した、シハヌークビルの観光案内書の地図

「(XUX0奮闘記より抜粋) Poah島は港から40分位、しかし前回の第1次調査隊の時は小さな船だったので岸辺に接岸できたが、今度はやや大きな船だったので沖合に停泊。従って透明、遠浅の白い海岸は裏目にでて重い発電機と無線機を海に落とさないように100m程担いで上陸するはめに... 時刻は一番暑い午後2時30分、この作業は疲れる...。とにかく一番肝心な発々の動作を確かめる。バッチリ!! 次にアンテナを建てる。角材がフニャフニャでお辞儀をしてしまうので実際は地上高6mhか? 最後にハードケースを机にリグをセットし、砂浜に座り込んでの第一声は16時38分(09:38UTC)の21.276MHzのSSB。JA2DQZ/2のモービルとIOTAの歴史的? 1st QSOに成功。


写真11. (左)Koh PoahでXUX0を運用する米塚廣雄氏。
(右)米塚氏が手にしている1997年版IOTAディレクトリーの日本語版。

21MHzは時間的に少し遅く、JAはもう死にかけている。10局程QSOしてJA2TBSと7MHzに行くがもらったレポートが44、次の局が37そして39、QRMだらけの様、こりゃーダメだとばかりに14MHzへ、JH3DPB, JR2KDN, 7L1MFSらとQSO、12:00UTC、HL5YAWのQSOで5C, 50QSOは達成。歴史的なP5/OH2AMみたいに、これでもうやめようかしら? とふと思う。この後 N6FL と QSO できる。よくもこんなセコいアンテナで? と、建てた自分でさえ感心する。興奮の後、夜に備えて木々の間にハンモックを吊るして空中ベッドにする。船は既に帰っており、段々暗くなる島には自分以外誰もいない..... 。(1998年3月記)」


写真12. JA3AER宛てのXUX0米塚廣雄氏のQSLカード。QSLマネジャーである7L1MFS(XU2C)吉田博氏が送ってくれたが、JA3AER筆者がXUX0米塚氏とQSOしたのは、英国から帰国後の1998年11月23日で、米塚氏は再度このPoah Island (IOTA: AS133)から運用されたものと思われる。

1998年 (西マレーシア 9M2/JF4WPQ, 9M2KE)

JF4WPQ児玉真一氏は仕事で西マレーシアのペナンに駐在中に、9M2/JF4WPQの免許を得て運用したとアンケートを寄せてくれた(写真13)。「会社(Sharp-Roxy)にマレーシアの免許取得者が居り、その紹介でコーヒーミーティングに参加し、知り合ったローカルの顔効きを通じて免許を申請したところ、約3ヶ月で認可。この免許申請には何らかのワーキングビザが必要で、観光ビザではだめらしい。ほとんど土曜日と日曜日の運用で、それも朝方の運用が多く、日中は家族サービス、買物等でつぶれています。土曜日が休めるのは半分位であり、運用時間が十分取れません。リビングにシャックを設置しており、家族が活動を始めると運用しづらくなって、おのずと早朝に集中です。家族も大事にしないといけないし(特に海外では)、無線もやりたいしで、バランスをとるのが大変です。私のアパートはマレーシアには珍しく外観美観にうるさく、ベランダに洗濯物が出ていると管理組合に注意されます。よってアンテナも運用する時にのみ出して、通常は収納しています。管理組合には運用許可をとっていませんが、何かあれば政府発行のライセンスを見せてごまかそうと考えています。(1999年2月記)」


写真13. (左) 9M2/JF4WPQ児玉真一氏のQSLカード。
(右)ペナンのハム達が集うコーヒーミーティングに参加した9M2/JF4WPQ児玉真一氏(右から3人目)。

JR4PMW河野瞬一氏は、2度目のマレーシアで、再度9M2KEを運用したとレポートを寄せてくれた。(写真14及び15)。「1998年8月に2度目の赴任をして、早いもので1年が過ぎました。マレーシアも滞在にして延べ6年半、仕事に係わって10年以上です。前サイクル22では、HFばかり楽しんでおりましたが、今回はV,UHFのリグも持ち込みサイクル23を存分に楽しむつもりで来ました。幸い、サイクルのピークを海外で過ごすという絶好のチャンスにも恵まれています。6mの設備はFT-726で、やや時代遅れとなりましたが、故障知らずで、感度やその他の特性も申し分ありません。アンテナは、釣竿1/4GPで、いわゆるアパマンハムです。入居以来、屋上使用の交渉を続けてきましたが、結局、許可されずベランダへ取り付けています。しかし、20階建て最上階(約60m)ですので、ロケーションは良く、また、前方は海ですので、10W, GPとは言え、時にはローカル局の100W, 4エレと同等の飛びを見せてくれます。現在までの交信カントリーは、JA, VK, VR2, BVとBYです。JA局が頻繁にEU, W, LUなどと交信しているのをクラスターで拝見しますが、今の所指をくわえている状態です。6mは、普段はノイズだらけのバンドですが、開けた時のあの浮び上がって来るように聞こえる信号が、何とも言いようの無い魅力です。(1999年11月記)」


写真14. (左) 9M2KE河野瞬一氏のベランダからペナンの展望。
(右)9M2KE河野瞬一氏が入居する20階建てのアパートメント。


写真15. (左) 20階のベランダから突き出した釣竿アンテナ。(右)RTTYを運用中の9M2KE河野瞬一氏。

1998年 (インド VU3MIY)

JA7AUM石戸谷正晴氏は、インドでVU3MIYの免許を得たとアンケートを寄せてくれた(写真16)。「インドへの転勤が決まった段階で、インドのアマチュア無線連盟のVU2ST, Saad Aliさんへe-mailで連絡をとる。申請書類をe-mailで送ってもらう。1998年3月インドへ赴任。VU2STより紹介のあったインドアマチュア無線連盟会長VU2SDN, Mr. Sahruddinに会い申請書を渡す。VU2SDNは申請官庁であるMinistry of Communicationに勤務していた。VU2SDNが申請書類をMinistry of Communicationへ提出してくれる。これが3月18日。ライセンスをもらったのは11月であった。この間、ライセンスの状況は何もわからなかった。リグの輸入税が高い為、ライセンスがおりたら、それをベースに輸入許可書をもらうと、輸入税が安くなる。しかし、12月にインドを去る事になったので、リグの輸入まで至らなかった。残念ながら、ライセンスはおりたが、運用は出来なかった。Mr. Saad Aliはインド版 CQ誌を発行しています。群馬大学を卒業した日本通です。(1999年3月記)」


写真16. VU3MIY石戸谷正晴氏の免許状。>

1998年 (スリランカ 4S7YSG, 4S7AHG)

JA2SWH佐竹康雄氏は、スリランカで4S7YSGの免許を得て、コロンボで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真17~19)。「スリランカへ来て5ケ月余りになりました。ハムのライセンスも取得でき、週末にはQSOを楽しんでいます。結局ライセンス取得には2ケ月半ほどかかってしまいました。でもこれも4S7EAがアシストしてくれたおかげで早かった方だと思っています。電波監理局(TRC)での処理自体は比較的早いのですが、セキュリティー上の理由なのか、ハムライセンスには軍部(Ministry of Defense)及び特殊警察のライセンス発行に対する合意が必要になってきますが、それぞれの処理に時間がかかります。


写真17. (左2枚)4S7YSG佐竹康雄氏の免許状と、(右2枚)軍部と特殊警察の合意関係書類。

ところで、前回もお知らせしたように、住居が高層ビルの20階であるため大型アンテナは設置出来ず、ベランダに取り付けた長さ1.7mのOUTbacker(マルチバンドのホイップアンテナ)でオンエアーしております。海外版アパマンハムです。20階で約50mの地上高があり、日本に面した北北東面に部屋に入居出来たこともあり、日本とFBにQSO出来ています。主に10, 14, 18, 21MHzのCWを中心にオンエアーしています。また、JANETの時間は21MHzでJA及びUSAとパスがないためチェックイン出来ませんが、JAIGの時間にはチェックインさせていただき、JA及びヨーロッパのJAIGメンバーの方々とQSOしています。5月末の当地のアマチュア無線連盟の月例ミーティング(毎週最終水曜日夕方開催)に出席し、入会手続きも済ませました。これから、当地のハムとの交流チャンスには出来るだけ参加しようと思っています。(1998年6月記)」


写真18. (左)4S7YSGのシャックにて佐竹康雄氏。(右)4S7YSG佐竹康雄氏と現地のハム仲間達。


写真19. 4S7YSG佐竹康雄氏のQSLカード。

JH4AHV迫光徳氏はスリランカで免許を得て運用したと免許状のコピーを添えてアンケートを送ってくれた(写真20)。「日本の免許を基にして、1998年10月21日から年末までの期間で、スリランカの4S7AHGの免許を得て、10月21日から30日までコロンボ市で運用し、1.9MHz~28MHzのA1とA3Jで、約2,800局とQSOしました。(1998年12月記)」


写真20. (左)4S7AHG迫光徳氏への免許状発行通知書。 (中央2枚)4S7AHG迫光徳氏の免許状。
(右)軍部関係の合意書類。

「あの人は今 (第36回)」JA1INP吉岡生朗氏

台湾の台中市に定住しておられるJA1INP吉岡生朗氏の、マレーシアでの9M2IYの運用については(その90) 2020年9月号に紹介させて頂きましたが、その吉岡氏からその後の状況を含めた近況をお知らせ頂きましたので、紹介させて頂きます(写真21及び22)。「1998年9月、マレーシアから台湾台中市に転勤になり、9M2IYで交信した台湾のBV4QAを訪ね、台湾で開局できないか尋ねたところ、11月に隣の市で中華民国常餘無線電促進会(CTARL)の会合に出席することになりました。紹介された同会中部分会の総幹事BV4BO羅氏に、その場でゲスト局を申請したところ、BV4EV局のゲスト局としての免許申請を即受理してくれました。会合には台北、台中および近郷の局20名ほどが参加していてEyeball QSOが出来ました。「火腿族」と言うCTARLの機関紙には、理事長のBV2A陳氏の記事で、JARLから第7回訪台団の記事が掲載されていました。ゲスト局の免許は得たものの、直後に業務が繁忙になり、また日本に残した妻の容体が悪くなったりして、残念ながら免許期間中には運用の機会がありませんでした。


写真21. (左) BV4/JA1INP吉岡生朗氏の臨時免許状。(右) CTARLの機関紙「火腿族」。

台湾人はとても親切で、日本人を気遣ってくれるので、2001年に退職後マレーシアに戻り自営の会社を暫く運営していましたが、2007年に台湾台中に戻り永久ビザを獲得して過ごしています。この居留証でBVの個人局の免許が取れるのか、調べてみたいと思っています。(2022年2月記)」


写真22. (左)台中市の近代的なビル街を背景にJA1INP吉岡生朗氏。
(右)台中市の観光街を背景にJA1INP吉岡生朗氏。

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次号は 12月 1日(木) に公開予定

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