海外運用の先駆者達 ~20世紀に海外でアマチュア無線を運用した日本人達~
2023年3月1日掲載
連載10年目の今回は、2000年の3回目でヨーロッパと南北アメリカです。JH6RTO福島誠治氏は英国でCEPT免許を取得後、ヨーロッパや北米の島々からそのCEPT免許を利用して運用され、その有用性を実感したと、この年4エンティティでの運用レポートを送ってくれました(写真1)。
写真1.
(左)M0RAA福島誠治氏が英国で取得されたCEPT免許状。
(右上)M0RAA福島誠治氏のQSLカード表と、(右下)その裏。
20世紀の記事は今回で最後になりますが、既にアンケートを寄せて頂いている2002年までの記事を、このあと3回に分けて紹介させて頂き、最後のエピローグでは、読者の方々からのご批評/ご感想も掲載させて頂きたいと考えていますので、10年間のこの連載記事をご覧頂いたご感想などを、筆者(ja3aerアットマークjarl.com)宛てにお寄せ頂ければ幸いです。尚、今月の「あの人は今(第45回)」は、JR4PMW河野俊一氏の紹介です。
JH6RTO福島誠治氏は2000年7月に、アイスランドの首都レイキャビクで、英国のCEPT免許を使ってTF/M0RAAのコールサインで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真2)。「渡英後直ちにCEPTの免許を取得したので、ヨーロッパ内の移動は殆んど免許の心配が無くなりました。本当にパワフルです。運用は2ケ所から行いました。ひとつは滞在先のホテルで、もうひとつはラジオスカウト(ボーイ&ガールスカウトのクラブ局)です。到着とほぼ同時に発生した磁気嵐(Aインデックス=150)のせいで、殆んど何も聞えませんでした。14MHz, CWで何とか20局程QSOしましたが、相手は全てヨーロッパ内です。とにかく、初日にはリグが壊れたのでないかと疑いました。6mでオーロラ反射に挑戦すべきでした。出発前はDX誌にアナウンスまでして、アイスランドのVidey Island (EU-168)とグリーンランドのKulusuk Island (NA-151)に、日帰りミニペディを計画していましたが、強烈な磁気嵐のため中止しました。NA-151の方は観光目的で行きました。氷山や真夏でも冠雪した山など、大変美しいところでした。(2000年7月記)」
写真2.
(左)ラジオスカウトのクラブ局の皆さんと、右端がTF/M0RAA福島誠治氏。
(右)ラジオスカウトのクラブ局にてTF/M0RAAを運用する福島誠治氏。
JI2TKX岡俊彦氏は、ガーンジー島からMU0CERで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真3及び4)。「2000年11月3~5日の3日間、イギリス自治領ガーンジー島からオペレートする機会に恵まれました。ガーンジー島は面積約60km2、人口約6万5千人の小さな島で、イギリスとフランスの間のイギリス海峡のチャンネル諸島の一つである同島は、フランス西岸から約30kmと近く、元々フランスの領土でしたが、約700年前にはイギリス自治領となり今日に至っています。現在でも道の名前等はフランス語で表記されており、その名残がうかがえます。同島には、地元のアマチュア無線クラブ(GARS: Guernsey Amateur Radio Society)のクラブ局(HF: GU3HFN, V/UHF: GU8NIS)があり、今回はここからのオペレートを事前に、会長のGU0SUPフィルさんに依頼しておきました。同クラブには現在70人程度のメンバーがいます。毎週火、金曜日の20:00からミーティングを開いており、部外者の訪問も歓迎しています。ちょうど私が訪れた11月3日にもミーティングがあり、クラブメンバーと親交を深める機会に恵まれました。
写真3.
(左)GARSの皆さんと、前列右側がMU0CER岡俊彦氏。(右)GARSのクラブハウスとアンテナ。
日本では、メジャーなコンテストの時を除き、あまりガーンジー島のローカル局とQSOする機会がないようですが、フィルさんにこのことを尋ねてみたところ「データ通信しかやらない人、6mでDXCCに夢中な人等々、興味の対象が皆異なっており、HFでアクティブにQRVする人がそれほど多くいないからではないか」とのことでした。クラブ局には、HF用にFT-990、TH6(6エレトライバンダー)、V・UHF用にIC-290、14エレ八木等が備え付けられており、短期間の訪問者はこれらの設備を使用してオペレートすることが可能です(ペディション時はリグ、アンプ等の持込みが必要)。滞在期間中はMU0CERのコールサインでQRVしましたが、運用時間を十分とることが出来ず、また強風のためアンテナをクランクアップすることが出来ませんでした。しかし幸いなことに、コンディションには比較的恵まれ、JAを中心に約300局とQSOすることができました。特に、11月5日は出発間際の11:30UTC(20:30JST)頃になってもJAからの21MHzでのパイルが鳴り止みませんでしたが、後ろ髪を引かれる思いでリグのスイッチを切り、13:00のフライトに間に合うよう慌てて空港へ向かいました。(2001年1月記)」
写真4.
MU0CER岡俊彦氏のQSLカードの表と裏。
JH6RTO福島誠治氏は、スペイン領バレアレス諸島のマリョルカ島での運用を、アンケートで知らせてくれた(写真5及び6)。「正月をバレアレス諸島で過ごそうと、12月31日から1月3日まで出かけて来ました。免許はCEPT免許で、EA6/M0RAAで運用しました。マリョルカ島最大の町であるパルマ市内のホテルのべランダに、バーチカルを設置した簡易シャックを設営しました。リグはIC-706MKⅡGです。海沿いではなく街の中のホテルであったため、ロケーションがすごく悪く、21MHz, CWの運用で、10局程とQSO出来ただけでした。無線ネタではありませんが、パエリアは大変おいしく、お米料理が沢山食べられて大感激でした。赤ワイン、ソーダ、砂糖、果物をミックスしたサングリアという飲み物も大変おいしかったです。(2001年1月記)」
写真5.
(左)バレアレス諸島のマリョルカ島にて、EA6/M0RAA福島誠治氏ご夫妻。
(右)島を走るレトロな電車の展示用車両の乗車口でポーズをとるEA6/M0RAA福島誠治氏。
写真6.
(左)首都パルマのシンボリックな教会であるパルマ大聖堂。
(右)背後にポーランド国旗を掲げたショパンが使っていたピアノは、ショパンが逗留していた修道院に展示されていた。
JH6RTO福島誠治氏は、バミューダでの運用について、アンケートを寄せてくれた(写真7及び8)。「個人的には1997年、1998年のAH0R/VP9の運用に続いて3回目なので、飛行機代、ホテル代が大変高いことを除けば、苦労は少なかった。持参したIC-706MKⅡGと、ミニマルチアンテナAP-4を改造したバーチカルアンテナで、JSTで朝の21MHzと、夕方の7MHzのパスに賭けて運用し、前者はおおむね成功であった。21MHzでは500局以上のJAを土日のパスでログインできた。7MHzは予想に反し、全く駄目であった。もう少し秋が深まってから行けば良かったのかも知れない。また、計算外に嬉しかったのはIOTA-2000のプログラムで、9月のバミューダは3点(それ以外の月は1点)にカウントされるため、欧米からのコールも多かった。JAからの距離の遠さ、費用の高さを差し引いても、無線機片手に何度も訪れたいリゾートです。(2000年10月記)」
写真7.
(左)ホテルにてM0RAA/VP9を運用する福島誠治氏と、(右)ベランダの垂直アンテナ。
写真8.
M0RAA/VP9福島誠治氏のQSLカードの表と裏。
JH6RTO福島誠治氏は、オランダ領シントマールテン(セントマーチン)からPJ7/M0RAAで運用したとアンケートを寄せてくれた(写真9)。「2000年11月にオランダ領シントマールテンのシンプソン・ベイで、10MHz, CWで運用して約100局と交信しました。仏領セントマーチン(FS)も、オランダ領シントマールテン(PJ7)も英国のCEPT免許で運用できます。オランダ側はオランダ政府としてのCEPT加盟ではなく、ネザーランド・アンティルとしてCEPT域外からの別加盟です。運用したリゾートが東に山、西にビルという環境で、大変環境が悪かったため交信局数が少なく、JAともQSO出来なかった。リゾートとして良すぎるので、無線に熱が入らない。観光という点では、オランダ側よりフランス側がお勧めです。(2000年11月記)」
写真9.
(左)海の綺麗なシントマールテンで、右端に見える宿泊したホテルから見える湾には、多くのクルーザーが停泊していた。
(右)マリンレジャーが盛んな、フランス領側(FS)のビーチの、眺めの良いレストランのテーブル。
JA3IG葭谷祐治氏は、チリのイースター島での運用を思いだして、アンケートを寄せてくれた(写真10)。「2000年9月15日から17日までの3日間、イースター島からCE0Y/JA3IGで、21MHzのCWとSSBで運用したのは、懐かしい思い出になっています。(2018年4月記)」
写真10.
CE0Y/JA3IG葭谷祐治氏のQSLカードの表と裏。
JA7AYE保坂宣保氏は、チリのファンフェリナンデス諸島から運用したと、アンケートを寄せてくれた。「2000年1月6日から16日まで、CT6TBN, Marcoをリーダーとした、チリのRobinson Crusoe Island DXペディションCE0Zに、オペレーターとして参加。CE0Zでは1995年にCE0/JA7AYEで単独運用した経験があり、グループへの参加はすんなり受け入れられた。運用はCWを専門として行った。他の4人のチリ人メンバーは一切CWの運用はなし。80mから6mまでの、SSB, CW, SSTV, RTTY, PSKで、全交信局数は約10,000局。その他、1月7日から9日まで行われたJIDXコンテスト(LFCW)に参加、約150局のJAと7MHz, CWで交信。今回のメンバーはCE6TBN, XQ3SAI, CE6SAX, CE6JOE, JA7AYEの5名でした。局設備は14~28MHz用3エレ八木2本、R-7バーチカル(WARC用)、7MHz用GP、80m用DP 各1本。リグは3式でした。(2000年1月記)」
「あの人は今 (第45回)」JR4PMW河野俊一氏
JR4PMW河野俊一氏の近況は既に2019年10月号(その79)の「あの人は今」で紹介させて頂きましたが、その後の状況を含めた補足と共に、仕事でマレーシアに駐在し、9M2KEとして活躍しておられた頃の、忘れ得ぬスマトラ沖大地震によるペナン島での津波の経験を回想して頂きましたので紹介させて頂きます(写真11~15)。「近況: 2005年に2回目の海外勤務地のマレーシアから帰国後は、単身赴任で栃木県矢板市と、三重県亀山市の事業所に勤務した後、2015年に退社して自宅近くの会社で第二の仕事に就き、昨年2022年3月の65歳定年までサラリーマンを勤め上げました。振り返ってみれば1回目の海外勤務を1994年に終えて自宅を新築したのですが、築後わずか2年でまた海外勤務となりましたので、単身赴任も含めると殆ど我が家には住んでいない状況でした。アマチュア無線も単身生活中はアンテナもままならず殆ど運用実績はありません。そんな中、念願かなって自宅に戻れたのは良かったのですが、今度は高齢だった父親が他界し、母親が大分県宇佐市の実家で独り住まいとなり、そのケアーで広島と大分との往復生活が始まりました。長い間ペーパーライセンスだった10Wの実家の無線局をkWへQROし、とりあえず運用出来る状態にしています。従い現在JR4PMWとJE6EKQの2局で無線を楽しんでいます。残念ながら大きなアンテナ設備ではありませんので、聞こえる範囲、届く範囲で細々とやっています。従ってのんびりと無線を楽しむ程度ですが、毎週日曜日に行われるJANETクラブとJAIGのネットには可能な限り参加して、海外在住の日本人ハムや、帰国してJAで無線を楽しまれている各局とのQSOは、楽しみの一つとなっています。
回想: 私のマレーシア在留中で生涯忘れ得ない思い出の一つをご紹介します。それは2004年12月に発生したスマトラ沖大地震です。インド洋周辺で20万人以上の方が亡くなられた甚大な災害だったことは皆さんも記憶されている事と思います。当時、私はマレーシアのペナン島に住んでおり、ちょうどクリスマス休暇中で、コンドミニアムの自宅で朝もゆっくりと寝ていた時間帯でした。通常の地震のように激しい揺れではなく、体にやや長い周期の揺れを感じた程度のものでしたが、最初は何が起きているのか予想もつかず暫くは立ちすくみましたが、あまりに長い時間でしたのでこのままでは建物が倒壊するかも知れないと恐怖がよぎり、慌てて20階から非常階段で地上に駆け下りた記憶があります。当時はまだ一般的ではなかった長周期地震だったようで、帰国後2011年に発生した東日本大震災でその言葉を知りました。その後揺れも収まって一旦自宅へ戻りTVニュースで近くのアンダマン海で大きな地震が発生した事を知り、とりあえず一件落着と思ったのですが、その震度の大きさから何となく津波の予感がありました。とは言え私にとっては見たことも聞いたことも無い全くの未知の出来事でしたので、深く考える事も無くランチに出かけ、再び自宅へ戻ってベランダから見える海の遠くの水平線を何気なく眺めると、いつもとは違う異変に気付きました。白いラインが目に入ったのです。その瞬間に頭の中に強い衝撃が走ったのを覚えています。長周期地震を感じてから約3時間後の事でした。「津波だ!」慌ててカメラを取り出し撮影しました。水平線に見えてから僅か30分後には、我が家のあるコンドミニアムのビーチへ到着したと思います。当然ながら生まれて初めて見る津波であり、20階から見る津波は一見綺麗で、まるで池の中のさざ波のようにしか見えませんでした。しかし、着岸するや否や大きな波しぶきと巻き上げられたヘドロで周囲は泥だらけとなり、津波とはこんなにも汚い物というのが当時の印象でした。撮影した写真をローカルのメディアへメールしたところ早速取材を受け、翌朝のTVニュースで取り上げられました。
写真11.
(左)埋め立て工事中の沿岸に、沖合から押し寄せる津波(中央の白い水平線)。
(右)高い塀で冠水を免れた高層マンションの敷地。
写真12.
(左)津波によるヘドロが流れ込んだ住宅街。(右)津波による冠水とヘドロで覆われた道路。
写真13.
(左)冠水とヘドロで覆われた住宅街。(右)冠水とヘドロに覆われた商店街。
写真14.
(左)冠水とヘドロで通行が困難に。(右)冠水とヘドロによる交通渋滞。
写真15.
(左)ヘドロで汚れた車を洗う人達。(右)ローカルの放送局の取材を受ける9M2KE河野俊一氏。
アマチュア無線でもこの一大事を一刻も早く知らせねばと焦っておりましたが、被災当日は近隣の状況把握や仕事関係などの電話対応で精一杯で、翌日少し時間が出来たところで14MHzと21MHzで伝えた記憶はありますが、何を喋ったかは興奮していたのか記憶にありません。その後はマレーシア国内や近隣国の間で7MHzによる非常通信が行われていましたが、言葉の壁や被災状況の大きさから私が参加する幕ではありませんでした。日本でもこの非常通信に妨害を与えないように注意喚起が出されていたと聞きますが、アマチュア無線の社会貢献の大きさを痛感できた大きな出来事となりました。合わせて当時この津波を体験した最初の日本人であったろうとも思っております。
マレーシアの現状: 最後にマレーシアの直近のハムライセンス状況などを、私が入手している情報の範囲でご紹介します。その前にまずマレーシアには長期滞在者向けのビザ(シルバー・ヘアー・プログラムMalaysia My 2nd Home)があり、リタイヤ後をのんびりと常夏の国で過ごしたい外国人に門戸を開いており、特にリゾート地でもあるペナン島にはこれを利用した多くの日本人長期滞在者もお住まいで、その中にはハムもいらっしゃいます。ところがこのビザの更新申請の条件が、近年大変厳しくなってきているようです。元々このビザは観光ビザですので就労や就学は認められていませんが、近年この掟を破り不法就労する外国人が増えた事が原因と聞いています。私もこれから考えていたプランだっただけにショックを隠し切れません。なぜならその申請条件を聞いてビックリで、保有資産4,000万円以上(以前は980万円以上)、マレーシア国内の銀行に2,800万円以上(以前は420万円以上)、月額収入100万円以上(以前は28万円以上)と、とても年金生活者には手が届かなくなりました。アマチュア無線に関しても、これまで外国人に対し前向きに免許を発給してくれていましたが、こちらも厳しくなってきています。これまで外国人にまず1年間与えられていた9M2/ホームコール(1年後9M2xxxコール発給)が、今はコールリストを検索する限りゼロとなっているようで、新規発給と更新が全てストップしているようです。背景には政治的理由もあるらしいのですが、特に日本人に対してはマレーシア人へのJAの免許がマレーシア免許からの申請で容易に発給されない不平等さもあると聞いていますが詳しいことは分かっていません。幸い私のライセンスはMARTS(マレーシアのアマチュア無線連盟)の強いサポートがあり継続されて助かっていますが、長期滞在ビザやアマチュア無線のライセンス付与の問題で、現地での運用を諦め、楽しかったであろう常夏の生活まで諦めて帰国せざるを得ない日本人が増えて来ると予想しています。20世紀では私も含め多くの日本人がマレーシアから運用しましたが、今後の動向は注視が必要です。21世紀になり益々グローバル化が進み、国際交流も深まるのかと思いきや、世界の各地に目を向ければ、正に逆行する動きがあることは誠に残念なことです。アマチュア無線家は民間外交官とも呼ばれていますので、少しでも世界平和の為に役に立ちたいと願うばかりです。(2023年1月記)」
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